Browsing: カフェ

パリはカフェで溢れている街。だから休日の街歩きも楽しくなってしまいます。16年の時を経てようやくリニューアルオープンした、パリの老舗百貨店サマリテーヌ。たくさんの人が心待ちにしていた様子を動画でご覧ください。 関連記事 パリのカフェ散歩 パレ・ロワイヤル コロナ禍で進化をとげるパリのカフェテラス パリのテラスとビストロを世界遺産に

12月10日〜11日、東京、港区にて「国際カフェテイスティング競技会」日本大会が開催された。会場の扉を開けるとすぐにコーヒー豆の香りに包まれる。会場には真剣な表情でカップを手にするカフェ・テイスターたち。この大会は、世界中から送られてくるコーヒー豆を、ブラインドテイスティングして評価していくというもので、年に一度開催される世界大会だ。金賞に選ばれたロースターはイタリアに本部がある国際カフェティスティング協会(IIAC)によるディプロマが与えられ、金賞のロゴを使用できるようになる。 日本語だけでなくイタリア語や中国語、韓国語などが飛び交う会場にいるのはIIACの認定を受けた30名のカフェ・テイスターたち。半分は日本人で、半分は韓国、中国、台湾から来ているという。使用する言語は異なるとはいえ、同じ認定を受けた彼らは、ネット上のテイスティングシートを使って、各ドリンクの香りや味わいを数字で評価していく。ポイントとなる観点はワインと共通点が多く、外観の色の濃さ、香りの強さや豊かさ、ボディ、酸味、苦味や香りなどについての評価である。対象となった豆は、抽出方法別にカテゴリーが分かれており、エスプレッソ用、フィルターコーヒー用、カプセルコーヒー用など様々だ。隣の部屋では熟練したバリスタ達が、同じクオリティのものを均等に出せるよう、念入りにエスプレッをを抽出する。 今回出品されたサンプルは11カ国から合計289点で、日本のロースターも5社金賞を受賞した。フィルターもしくは類似方法部門で金賞を受賞したのは、東京都のビーンズショップ珈琲楽座の「AJIWAI BLEND」、兵庫県の成田珈琲の「AMAREZZA FELICE…

東京の街角で美味しいエスプレッソに出会うのは至難の技だ。イタリアでエスプレッソに開眼し、日本でも同じ喜びを味わおうと思った途端、なぜこのささやかな願いを満たすのがこんなにも困難なのかという疑問にぶちあたる。イタリア製のマシーンは至る所に存在し、今時カプチーノが飲めないカフェのほうが珍しい。昔からコーヒーのうんちくを語る人も多く、カフェのガイドブックは毎年何冊も出版されている。それなのに、なぜ心から美味しいと思えるエスプレッソに出会うことがこうも難しいのだろう? 10月9日にACCI GUSTOで開催された、国際カフェテイスティング協会日本による「イタリアの遺産・エスプレッソ」セミナーは、長年のこうした疑問を解決してくれた。一言で言えば、エスプレッソは簡単そうに見えて非常に奥が深いということだ。イタリアで誕生したエスプレッソの文化を担うには熟練した技術と深い知識が必要であり、きちんとした基盤があってこそ、一杯で人を幸福にさせる味が作り出せるというわけだ。 イタリアで発足した国際カフェテイスティング協会(IIAC)は、イタリアのエスプレッソを検証し、定義すること、そしてエスプレッソをきちんと抽出できる人の人材育成を目的として創られた協会だ。IIACによれば、エスプレッソ・イタリアーノの特徴は主に2つあり、1つ目は豆をブレンドすることである。ここ数年、日本でもスペシャリティ・コーヒーやサード・ウェーブの影響で、コーヒー豆も、ブルゴーニュワインのように、単一品種、単一の産地のものをシングル・オリジンで飲むことが流行し、それこそがよいという風潮がある。そんな中でも、エスプレッソの本場、イタリアは、豆をブレンドすることにこだわり続けているという。数々のブドウ品種をアッサンブラージュさせ、ブレンドによる絶妙な味わい深さを作り出すボルドーワイン同様に、イタリアのエスプレッソにもブレンドの美学が貫かれているからだ。実は、イタリアでも150年前までは単一品種の豆を使用していたのだが、シングルオリジンでは複雑な味わいや余韻がどうしても生み出せないとわかり、ブレンドの伝統が生まれていったのだという。ヴァイオリンやチェンバロ、チェロなどの音が美しく重なり合うことで絶妙な深みが生まれる交響曲のように、ブレンドには様々な味わいの良さを引き立てあってバランスをとるという美学がある。イタリアでは世界的に評価の高いアラビカ種だけでなく、ボディ感のしっかりしたロブスタ種も使用するという。「日本ではロブスタ種というと缶コーヒーに使われる質の低い豆というイメージがありますが、素晴らしい品質のロブスタは質の低いアラビカよりもよほど優れているのです」とIIAC理事の横山千尋さん。アラビカ種の余韻、抑揚に、ロブスタ種のビターさ、パンチがあることで、特徴あるブレンドになるという。イタリアでは基本的には5種類以上の豆をブレンドし、13種ほどブレンドするメーカーもある。 エスプレッソ・イタリアーノの2つ目の特徴は焙煎である。日本の場合イタリアン・ローストというと、一番深く焙煎したものを指すのに対し、実はイタリアでイタリアン・ローストというと浅煎りと深入りの中間程度の焙煎なのだという。焙煎において大切なのはチョコレートを思わせる香りを生み出すことである。イタリアのエスプレッソはギュッと凝縮した味わいがあるものの、意外にあっさりしており、さらりと飲めてほとんど胃もたれすることがない。日本の場合は豆を深入りしすぎ、そのために酸化も早まり、酸化した状態の豆でエスプレッソを抽出している可能性があるという。日本で経験しがちな、砂糖を入れたところでごまかしのきかないエグミやきつい酸味は、そのあたりに由来しているようである。…

 レーモン・コスト氏はパリのカフェのギャルソンの、今日に残るシンボルともいえる人物。かつてカフェでは、全てのギャルソンは同じ制服を着用していました。彼らにとっての黄金律、それはお客さんにサービスし、気配りをすることだったのです。  人を茶化したなヒゲ、オーベルニュ地方の方言と彼の優しさが、給仕長としての人物を形作っています。年が経っても、彼のこの仕事に対する誠実さは変わりません。彼の名刺には両面に「ギャルソン」と書かれているのです。表面はパリのドゥ・マゴ用に、そして裏面は東京の仲間達用につくられた名刺です。  カフェのギャルソンになるまで  アヴェイロン地方の9人兄弟の長男だったレーモン・コストをドゥ・マゴの象徴、そして特に日本への大使として宿命づけていたものは何一つありません。彼は家族の農場にとどまるよりは、とパリへ来ることを選んだのです。アヴェイロンのコスト家の近くに土地を持つ、現在のウェプレールの主人であるミシェル・ベシエール氏が、レーモンがパリに到着した時に迎えに来てくれた人物でした。レーモン・コストはウェプレールでカフェの仕事における全ての役割を学んでいったのです。その後彼はドゥ・マゴの現在の主人、ルネ・マティヴァに呼び寄せられるまで、カフェ・ド・ラ・ペで働きました。「私はマティヴァ氏に雇われた最後の人物なんです。ここでは今でも30人ものギャルソンが働いています。」 ドゥ・マゴ東京の大使として…

 フランチェスコ・プロコピオ・ディ・コレッティが1684年にカフェ・プロコープを開いたのは、アンシアン・コメディー通り13番地。1686年に開店した、パリで一番古いこのカフェに足を踏み入れ、大きなシャンデリアとマホガニー製の家具類や壁石に囲まれるとすぐ、3世紀もの歴史の重みを感じることでしょう。カフェ・プロコープはパリ中をゆさぶった全ての知的革命を生み出した場所。ここに集った偉人達がプロコープを神話的な場所にし、現在もそうしつつあるのです。 プロコピオ、アイスとカフェとレモネード シシリア人のフランチェスコ・プロコピオは1674年に天才的なアイデアを思いつきました。当時のパリにはまだ酔っ払いだらけの居酒屋やキャバレーしかな かったのですが、彼はルイ14世の宮廷に通う、洗練された貴族たちをターゲットにした美しいカフェを開こうと考えました。彼のカフェはまずトゥルノン通り に開かれ、次に現在の場所、アンシアン・コメディ通りに移転しました。…

パリのカフェは変りつつある。人で溢れるテラス、カウンターに佇む常連客にエスプレッソマシンの激しい音。うるさい、落ち着かない、ギャルソンの態度が悪い、そして何よりコーヒーがまずい。そんな印象を抱いた人も少なくはないだろう。そんな昔ながらのカフェの姿に異議を唱えた新世代のパリジャンたちが、ここ数年、続々と新しいタイプのカフェをオープンさせている。 ワインにあれだけこだわる国が、どうしてコーヒーには無頓着なの?そんな想いを抱いた彼らのコーヒーへの情熱が、美味しいものを求める者達に支持されて、新たなコーヒーフリークを生み出している。 こうした店の共通点はスペシャリティ・コーヒー等の上質な豆を選び、パリ市内で焙煎し、抽出方法まで厳選すること。エスプレッソにありがちな強い苦みでごまかさず、豆本来の酸味やフルーティさを大切にし、ブレンドは極力避ける。豆にこだわる日本のカフェを知る私達が、こうしたカフェに足を踏み入れると、どこか懐かしさを覚えるかもしれない。店内を見渡せば日本ブランドの抽出器具が目に入り、ほくそえんでしまうかも。これらのカフェにはクラシックなカフェとは違ったあたたかみや落ち着きがある。気合いを入れるためにエスプレッソを流し込むのではなく、たっぷり時間のある時に贅沢なコーヒーを愛おしみ、心地よい出会いを楽しめる、そんなサードプレイス的なカフェをいくつかご紹介していきたい。 新スタイルのカフェを語る上で欠かせないのが、2005年オープンのすでに老舗的存在のカフェオテック。それまでコーヒー豆はブレンドが基本だったが、パリで初めてシングルオリジンのみを提供した店がここ。セーヌ川に面した店の前からは焙煎されるコーヒー豆のいい香りが漂ってくる。カフェオテックは焙煎所、カフェ、そして上質な産地で作られたコーヒーのテイスティング技術や、コーヒー豆全般に関わる知識、「カフェオロジー」を学べる学校が一体となっている。女主人のグロリアさんは元グアテマラの外交官で、「カフェオロジー」の提唱者。学校では、バリスタ技術も学べ、新世代を担う名バリスタを輩出。…

クロック・ムッシューとクロック・マダムは、パリ中のカフェやビストロ、ブラッセリーの定番メニュー。まず、2枚のパン・ドゥミの間にハムを一枚と、エメンタル・チーズまたは、コンテ・チーズを一枚はさみます。それから、それをグリルに入れて、パンの上部をほんのり焦がし、チーズを溶かします。クロック・マダムの場合は、その上に目玉焼きをのせるのです。 [pro_ad_display_adzone id= »1569″]  最近ではポワラーヌという有名なパン屋さんのパンを使用した、クロック・ポワラーヌというものをよく見かけるように。これは、大きな黒パンを一枚に切ったものの上に、ハムか生ハム、それにエメンタル・チーズまたはモッツアレラ・チーズと、トマトをのせたもの。それからグリルに入れる前に、少量のオリーブオイルとプロバンス・ハーブをかけるのです。

リップはフランスの歴史に名を残したブラッセリーです。 ここはパリジャンにとっても観光客と同じく神話的な場所なのです。 リップはサンジェルマン・デ・プレが思想と政治の中心地だった 20世紀の証人です。巨大資本に統合されたとはいえ、リップは今日でも パリのブラッセリーのシンボルです。今日でも、フランス人は、大臣か…

1931年に、マルセラン・カゼズはエコール通りのブラッスリー・バルザールを購入しました。バルザールはリップほど有名ではないけれども、真の顧客たちを彼に与えてくれるマダム・カゼズの指導のもとで、左岸における、学生たちやインテリたちの集う施設となりました。  1934年に顧客の一人がカゼズ賞をつくることを提案したとき、賞金は当時の金額で10万フランでした。1935年につくられたカゼズ賞は今日でも続いています。

パリジャン達の芸術的、知的生活の中心地だったクローズリー・デ・リラ  19世紀後半、印象派のクロード・モネ、フレデリック・バジル、オーギュス ト・ルノワールたちはモンマルトルに溢れかえった人たちに嫌気がさして、原点にたち帰ろうと、この場所にやってきました。クローズリー・デ・リラのテラス は、ライラックの木々に囲まれていたため、木陰ができて非常に心地よかったのです。ここはパリ=オルレアン街道に面していて、乗り合い馬車の宿場としても 機能していました。クローズリーの主人は通りすがりの旅行者たちに部屋を貸していました。詩人のボードレールとヴェルレーヌはここで心地よい時を過ごして…