黄色いベスト運動「ジレ・ジョーヌ」Gilets jaunes à Paris

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フランスやパリでは一体何が起こっているというのだろう?黄色いベスト、「ジレ・ジョーヌ」のデモが始まって4週目の土曜となった12月8日、厳戒態勢がしかれたパリでは激しいデモが起こり、主にシャンゼリゼ通りを中心に、カフェ・フォションなどいくつかのカフェや高級ブティックが被害にあった。ひと月前からフランスでは「ジレ・ジョーヌ」と呼ばれる社会運動が広がりを見せている。これは労働者はじめ、月末の支払いに苦しんでいる人たちが始めた自発的な運動で、完全な車社会の地方から始まった。彼らは日々仕事や買い物に行くのに何キロも車を走らせる必要があり、すでに税金の高いガソリンが、1月に導入予定の炭素税によって値上がりするということで彼らの怒りに火がついた。11月17日からフェイスブック上で、黄色いベストを身につけて高速道路やショッピングモールを封鎖しようという呼びかけが始まった。そして12月1日、フランスの権力一極集中の象徴であるパリ、その中でも特に富の象徴であるシャンゼリゼ通りで激しいデモが行われた。

この運動の発端は炭素税に対する怒りだったとはいえ、それは引き金で氷山の一角であり、問題はより根深いと言われている。「ジレ・ジョーヌ」は、一部の過激派の運動でも、極右が煽って始めたごく一部の人たちの運動でもない。これは、フランスの格差社会や社会的不正義に対して、大変な暮らしの中、なんとかやりくりしている人々の不満や怒りが噴出し、徐々に人々の共感を呼んだことで広がりをみせた運動なのだ。参加している人たちは出自も考え方も支持政党も異なるが、これまで耳を貸してもらえなかった自分たちの声、社会から顧みられなかった自分たちの存在を認めてほしいという想いが共通している。マクロン大統領は年金生活者や失業者、シングルマザーや税金でかんじがらめの個人商店主など、ギリギリ精一杯の暮らしをしている人たちの声を無視してきた。日本向けの報道ではショッキングな映像と逮捕者数だけが衝撃的に映るかもしれないが、この動きはもともと80%のフランス人から支持されており、衝撃的なデモの後でさえ、フランスの世論からかなりの支持を得ているのだ。

とはいえ「ジレ・ジョーヌ」のムーブメントは危険性をはらんでいる。というのは、このムーブメントは選挙という民主的な方法を否定しているからだ。彼らはもはや政治家に失望しており、マクロン大統領や議員たちの辞任を求めている。彼らは自分自身の意見を述べるものの、この動きは代弁者も代表者もいないのが特徴だ。だから政府が対応しようとしたところで、誰と話せばいいのか、彼らの声を最も代弁しているのが誰かがわからない。12月1日の騒然たるデモの後、フランス政府は1月に予定していた炭素税の引き上げをやめ、ガス代や電気代の値上げもやめるという英断をくだした。それにも関わらずこのムーブメントがおさまらないのは、あくまでも炭素税はつもりにつもったこれまでの不満の起爆剤となっただけであり、これまで社会から顧みられずに過ごしてきた人々の怒りがおさまらないからである。フランスは一部の貴族のようなエリートのためではなく、人々のための共和国ではなかったのだろうか?この動きがフランス革命や1968年を彷彿させるのも、そうした市民と権力の対立という構図があるからである。

12月1日のパリでのデモが非常に過激化したのは、政府に対する怒りで心の中は煮えくり返っていても、平和的にデモをしていた人たちの中に、極左や極右の、特殊な武器やペインド用具を持ったグループが混じったからである。郊外の不良たちも夜に店を略奪するためにやってきた。こうして、パリで行われた3回目のデモは最も過激でショッキングなデモとなり、凱旋門がのっとられ、落書きされ、その下にある無名戦士の墓が冒涜されたのをみてフランス人たちは非常にショックを受けていた。凱旋門の前にある「ベル・アルメ」のようにカフェが放火されるというのを目にするのは、パリの歴史的建造物が大幅な被害にあった、パリの市民戦争、1871年のパリコミューン以来の衝撃である。

翌週何が起こるか懸念され、厳戒態勢がしかれた12月7日は、1日に比べると過激な事件は少なかった。それは警察が、デモの参加者たちがシャンゼリゼに入る前に彼らをチェックしていたからであり、砲弾や爆発物を持っていた者たちは全て逮捕された。この日はエッフェル塔、数多くの美術館、近隣の全てのカフェと店が閉まり、多くの店は事前にしっかりとバリケードをはっていた。クリスマス前の1ヶ月は通常の2−3倍の売り上げがある、1年でもっとも大事な時だけに、パリでのこのデモの影響は深刻である。道路やショッピングセンターが封鎖された地方でも、一様に売り上げが下がっている。

そんな中、シャンゼリゼの近くで「ジレ・ジョーヌ」の人々を応援するビストロが店を開けていた。プティ・アカシアの主人は彼らを応援し、毎週彼らをあたたかく迎え入れている。

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Laurent Bromberger, Miki IIDA

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