Author Miki Iida

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11月21日(木)はボジョレー解禁。それに先立ち、渋谷のクラブ、コンタクトでカウントダウンイベントが開催された。ボジョレーワイン委員会は2年前から世界的なカウントダウンイベントを開催しており、昨年のパリに続いて今年は東京が選ばれた。日本はボジョレー・ヌーヴォーの25%を消費する非常に重要な国であり、日本が選ばれたのはごく自然な流れだったという。 ボジョレーワイン委員会会長のドミニク・ピロン氏によれば、2019年のボジョレーの気候は一筋縄ではなかったそうだ。春の霜、夏にもアラレの被害があり、収穫量はマイナスに。とはいえ9月には素晴らしい天候に恵まれたおかげで、品質は素晴らしい。現在世界的に、重たくしっかりとしたワインより、軽やかでアルコール度数も低く、土着品種を使ったワインが愛される傾向にある。また、ワインだけでなく、ワインと共に誰かと過ごす時間を楽しむこと自体が好まれるようになってきた。ボジョレーの土着品種であるガメイで造られ、軽やかなボジョレーはまさにそんな時代のニーズにピッタリとマッチした存在なのだ、と会長。 ボジョレー地区で生産されるワインはボジョレー・ヌーヴォーだけに限らない。ボジョレー・ワイン委員会は、パリでもボジョレーの時期になると、この地区で生産される、より高品質なワイン、「クリュ・デュ・ボジョレー」のプロモーションも行っているという。日本でのクリュの消費量はまだボジョレー全体の10%程度だというが、少しでも認知度を上げようと、今回も解禁前にはクリュの無料テイスティングを開催し、生産者たちも駆け付けた。 祝祭的な雰囲気や友人たちと盛り上がりたい時にピッタリな、軽やかでフルーティ、かつ何杯飲んでも飽きのこないボジョレーのクリュ。そんな雰囲気を体感してもらおうと、今回はフランスから著名なDJファルコン氏が来日し、ボジョレー片手にエレクトロミュージックのリズムに乗って踊れるブースも用意され、来場した外国人たちで賑わった。海外からも注目されているクラブ、コンタクトの音響やDJは本当に素晴らしく、24時を迎える頃には盛り上がりも最高潮に達し、まるでフランスにいるかのよう。 さて、待ちに待った24時が過ぎ、解禁された2019年のボジョレーは?数種類をテイスティングして印象的だったのはフルーティさと軽やかさ。ヌーヴォーはクリュよりも一層ふわっとする軽やかさがあり、これがあればますます踊てしまいそうなほど、祝祭的な味わいである。解禁の盛り上がりに包まれて、DJブースは24時を超えても踊りたい人たちでますます賑わいをみせている。ボジョレー・ヌーヴォーは一年中楽しめるものの、日本で一番売れるのは11月と12月にかけてだという。解禁イベントだけでなく、クリスマスまでの友人たちとの集まりに、軽やかでフルーティ、飲んでいると心が踊りだすようなボジョレーを合わせてみては?

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11月11日は生ハムの日。それにちなんで、日本生ハム協会主催のイヴェントが表参道のレストラン、バンブーで開催された。日本生ハム協会は、日本に本物の生ハムを広げる目的で4年前に発足した。このイヴェントの主な目的は、生ハムの違い味わって体感してもらうこと。生ハムというと目を輝かせる人は多くても、産地によって味わいが随分と異なることを知っている人はそう多くないだろう。 ひとくちに生ハムといっても国や産地によって味わいは違い、製造工程や熟成にかける年月も異なっている。日本では40年前から、刺身のように生で食べる豚肉のことを生ハムと呼んできたそうだが、それは「イタリアやスペインなどで作られる本物の生ハム、つまり長期熟成ハムとは似て非なるもの」だと代表理事の桜丘盛一さん。会場には日本産の生ハム、フランス産、イタリア産、ドイツ産のスモーク生ハム、そしてスペイン産など、様々な生ハムのブースがあった。「日本での年間生ハム消費量は一人あたり21グラム。でも今日は一人当たり200グラムをご用意しました」との桜丘さんのコメントに一同驚きを隠せない。たった1日で年間消費量の10倍もの生ハムを用意してもらえば、さすがに違いに気づいてくる。イタリア産、パルマの生ハムはカットの薄さが特徴的だ。まるで花びらのような薄さでカットされた生ハムは、口当たりもさらっとしており軽やかでいくらでも食べられそうだ。この薄さは塩味を和らげるためだといい、確かにイタリア産のハムは塩味が強めなようである。ドイツ産のスモーク生ハムはスモーキーな香りが口いっぱいに広がる優しい味わいで、後引く美味しさ。チーズと非常に合いそうだ。 スペイン産はハモン・セラーノとハモン・イベリコ100%・ベジョータが用意され、その場でプロがナイフでカットしてくれる。スペインでは生ハムは非常に大切な文化、伝統であり、普段は機械でのカットが多いが、結婚式など特別な時には職人を呼び、高級な生ハムをカットしてもらうという。スペインではたいてい誰でも自己流には生ハムをカットできるが、高級な魚を経験豊富な寿司職人が切るからこそ上質な寿司ができるように、特別な日のために用意された生ハムも、プロがカットしてこそ美味しさがひきだされるという。生ハムの本場、スペインでも、非常に高級なのが上記写真のハモン・イベリコ100%・デ・べジョータの生ハムだ。こちらは大自然の中でのんびり育った純潔のイベリコ豚の肉を36カ月以上熟成して作るという。スペインでも大変貴重で、年に65万本しか作られないそうだ。その貴重な一本がここに用意され、プロにカットしてもらえる上、おかわりもできるのだから幸せである。この生ハムはわりと厚めにカットされ、舌にのせると、その味わいの濃さに圧倒される。まるで全てのうまみが一枚にギュッと凝縮されているかのようだ。そして舌の上で、高級なバターのように脂肪がゆっくり溶けていく。よくある生ハムのようにただ塩辛いだけでなく、甘じょっぱいような、独特のうまみが特徴的で、確かにこれはクセになる。この味わい深い余韻は会場を去って30分経っても消えず、これだけ感動が継続することに驚きを隠せなかった。 人生を変えるほどの生ハムがあるという。それは一体どんなものなのか、そんな疑問を抱いて会場に足を踏み入れた。いつまでも消えぬ余韻に浸って帰宅しながら、なるほどと合点がいったように思う。世界にはこれを見ずには死ねないという景色や、これを食べずに死んではいけないというほど美味しいものが存在するが、ハモン・イベリコ100%・デ・べジョータの生ハムもそのひとつといえるのだろう。どんなに辛い時があっても、その喜びを味わったなら人生も悪くないと思え、もう少し長生きしたくなる。人生の喜びや豊かさを教えてくれる感動的な食が世界には存在する。それを育んできたスペインの食文化の深さとあたたかさが垣間見えた夜だった。

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11月8日、東京ステーションホテルにて、ボルドー甘口ワインマスタークラスが開催された。ボルドーから生産者たちが来日し、彼らの造るワインと和食とのペアリングを楽しむというものだ。ペアリングを提案したのはトップクラスの若手ソムリエ、銀座ロオジェの井黒卓さんと、東京ステーションホテル総料理長の石原シェフ。 ボルドーの甘口といえばソーテルヌという印象が強いものの、実際には上記写真が示すように、甘口ワインはカディヤック、ルピアック、セロンスなど、8つのAOC産地で造られており、ソーテルヌに比べてリーズナブルだ。また、ボルドー甘口は日本では手に入りにくく、高級で年代物のソーテルヌしか見当たらないようにも思うが、実は日本はボルドー甘口ワインの6番目の輸出先だという。ひとくちにボルドー甘口、といっても貴腐菌ではなく完熟したブドウで造るものもあり、控えめな甘さから極甘口まで甘さの度合いも様々である。 控えめな甘さのワインは酸と甘みのバランスがよく、意外なほど和食に合っている。それもそのはず、スイート・ボルドーの味わいは梅酒と共通点が多いのだ。熟したあんずや年代物の梅酒、干し梅と似たニュアンスをもつスイート・ボルドーは、実は白ワイン以上に伝統的な和食に向いているかもしれない。「柚子豆腐 クリームチーズ 東京べったら漬け」と「Château Laurette シャトー・ロレット2016」のペアリングでは、ワインのもつ柑橘系の爽やかさと甘みが、カリカリっとしてほんのり甘みがある漬物と見事に調和。何度も日本に来日しているルーピアック・ゴーディエのニコラさんが造るワイン、「Château…

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ボルドーでワインを造る。それは豊かで美しい生き方だ。広大なぶどう畑に囲まれ、日々自然と触れ合える。食卓には高品質のワインが日常にあり、ワインを介して沢山の人との出会いに恵まれる。ワインを売り込むためには世界に目を向け、販売促進のために様々な国におもむく必要がある。自分の愛する土地にしっかりと根を張りながらも同時にインターナショナルであり、地道でありながらも華やかだ。ワイン造りは非常にやりがいがありそうな仕事だが、1つだけ大きな問題がある。それが天候不順である。 収穫間際のサン・テミリオンで、眩いほど美しい暮らしをしている生産者宅を訪れた際、彼らが時折空に目をやり、顔をしかめる場面があった。雷が鳴る。雨がもうすぐ降るのだろうか。降ってしまうと収穫は台無しになる。そのタイミングを決定するのは至難の技で、場合によっては一年の努力が無駄になる。人間だったら雨が降っても傘がさせるが、ブドウ畑は広すぎる。突然の豪雨やアラレなど、一瞬にして広範囲に影響を及ぼすものは、それが起こった直後に対処をしようとしてもほとんど追いつかないものだ。 世界中で異常気象が続くなか、このままではワイン生産者たちが気候変動に振り回されるのは自明のことである。一時的な対処療法がないのであれば、病気に負けない身体づくりをするように、畑の免疫力や自然治癒力を高め、気候変動に負けない畑づくりをするのが早道だ。10月24日、ボルドーワイン委員会の国際後方担当のセシルさんと、技術部門ディレクターのマリー=キャトリーヌさんが来日し、「ボルドーの持続可能なワイン造りを知る」というプレスイベントが開催された。現在、ボルドーのワイン業界は気候変動への対策に強く力を注いでいるという。2017年にはボルドーのぶどう畑の60%が、ビオやビオディナミ、HVE認証(環境価値重視認定)など、何らかの環境認証を取得し、ボルドーワイン業界は100%を目指している。これはビオワインが消費者の身体に優しいからというより、畑のまわりの生物多様性を強化し、畑全体の耐性を強くするという視点があればこその結果である。結局のところ、ブドウだけの成長を考え、生物多様性の少ない土壌や畑は自然災害への耐性が弱いのだ。 これまでブドウ畑といえば、上に挙げた写真のように、表面がカラッと乾燥し、ゴツゴツした小石が表面に出ているぶどう畑が主流だったが、今では下に載せた写真のようにボルドーの85%のぶどう畑の土の部分は下草で覆われ、様々な虫の住処となっている。また、農薬使用を減らすため、ぶどうの実に害を与えるハマキガを捕食するコウモリについての研究が進んでいるという。コウモリは一晩で約2千もの害虫を捕食するため、生産者たちはぶどう畑にコウモリの定着をすすめるための環境整備に取り組んでいる。農薬の使用に関しては、ボルドー、ボルドー・シューペリウールのAOC規定により、畑全体に向けて除草剤を使用することを禁じ、除草剤が使用できる場所を限定した。それだけでなく、今後の気候変動に対応するため、新たに気候変動に耐性があると思われる7品種をAOCの規定にいれることを許可。これらはあくまでも補佐的な品種とはいえ、「これだけ対策をしているから、100年後にも絶対ボルドーワインは生き残るわよ」とマリー=キャトリーヌさん。ボルドーといえば伝統的、というイメージが強力だが、ボルドーをよく知る二人によれば、実際は、ボルドーにおける伝統とは、時代に合わせて変化、適応していくものだという。戦後は様々な作物とともにブドウを育て、1980年ごろまでは白ワインがメインの産地だったように、ボルドーは刻々と時代に合わせて進化を遂げてきたからこそ、世界に誇るワイン産地であり続けることができたのだ。 65ものAOCをもつボルドーはその環境への取り組みも、トップクラスであろうと努力している。大西洋が近く、大河もあるため湿気の問題が根強いボルドーは、はじめから農薬不使用の栽培に適したような場所ではない。だからこそ、ここでの困難の乗り越え方や研究成果は、今後フランスだけでなく、多くのワイン産地に影響を与えていくことだろう。下草が生え、蜂や蝶が舞うブドウ畑は楽園のように美しく、心洗われる光景だ。食の遺産を守るために私たちができることは何なのか、フランスきってのワイン産地、ボルドーから学ぶことはまだまだ沢山ありそうだ。(下草の写真はボルドーワイン委員会提供)

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東京の街角で美味しいエスプレッソに出会うのは至難の技だ。イタリアでエスプレッソに開眼し、日本でも同じ喜びを味わおうと思った途端、なぜこのささやかな願いを満たすのがこんなにも困難なのかという疑問にぶちあたる。イタリア製のマシーンは至る所に存在し、今時カプチーノが飲めないカフェのほうが珍しい。昔からコーヒーのうんちくを語る人も多く、カフェのガイドブックは毎年何冊も出版されている。それなのに、なぜ心から美味しいと思えるエスプレッソに出会うことがこうも難しいのだろう? 10月9日にACCI GUSTOで開催された、国際カフェテイスティング協会日本による「イタリアの遺産・エスプレッソ」セミナーは、長年のこうした疑問を解決してくれた。一言で言えば、エスプレッソは簡単そうに見えて非常に奥が深いということだ。イタリアで誕生したエスプレッソの文化を担うには熟練した技術と深い知識が必要であり、きちんとした基盤があってこそ、一杯で人を幸福にさせる味が作り出せるというわけだ。 イタリアで発足した国際カフェテイスティング協会(IIAC)は、イタリアのエスプレッソを検証し、定義すること、そしてエスプレッソをきちんと抽出できる人の人材育成を目的として創られた協会だ。IIACによれば、エスプレッソ・イタリアーノの特徴は主に2つあり、1つ目は豆をブレンドすることである。ここ数年、日本でもスペシャリティ・コーヒーやサード・ウェーブの影響で、コーヒー豆も、ブルゴーニュワインのように、単一品種、単一の産地のものをシングル・オリジンで飲むことが流行し、それこそがよいという風潮がある。そんな中でも、エスプレッソの本場、イタリアは、豆をブレンドすることにこだわり続けているという。数々のブドウ品種をアッサンブラージュさせ、ブレンドによる絶妙な味わい深さを作り出すボルドーワイン同様に、イタリアのエスプレッソにもブレンドの美学が貫かれているからだ。実は、イタリアでも150年前までは単一品種の豆を使用していたのだが、シングルオリジンでは複雑な味わいや余韻がどうしても生み出せないとわかり、ブレンドの伝統が生まれていったのだという。ヴァイオリンやチェンバロ、チェロなどの音が美しく重なり合うことで絶妙な深みが生まれる交響曲のように、ブレンドには様々な味わいの良さを引き立てあってバランスをとるという美学がある。イタリアでは世界的に評価の高いアラビカ種だけでなく、ボディ感のしっかりしたロブスタ種も使用するという。「日本ではロブスタ種というと缶コーヒーに使われる質の低い豆というイメージがありますが、素晴らしい品質のロブスタは質の低いアラビカよりもよほど優れているのです」とIIAC理事の横山千尋さん。アラビカ種の余韻、抑揚に、ロブスタ種のビターさ、パンチがあることで、特徴あるブレンドになるという。イタリアでは基本的には5種類以上の豆をブレンドし、13種ほどブレンドするメーカーもある。 エスプレッソ・イタリアーノの2つ目の特徴は焙煎である。日本の場合イタリアン・ローストというと、一番深く焙煎したものを指すのに対し、実はイタリアでイタリアン・ローストというと浅煎りと深入りの中間程度の焙煎なのだという。焙煎において大切なのはチョコレートを思わせる香りを生み出すことである。イタリアのエスプレッソはギュッと凝縮した味わいがあるものの、意外にあっさりしており、さらりと飲めてほとんど胃もたれすることがない。日本の場合は豆を深入りしすぎ、そのために酸化も早まり、酸化した状態の豆でエスプレッソを抽出している可能性があるという。日本で経験しがちな、砂糖を入れたところでごまかしのきかないエグミやきつい酸味は、そのあたりに由来しているようである。…

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パリの中心部にあるシャトレ広場には、フランスの演劇界きっての悲劇女優として知られるサラ・ベルナールの名を冠した歴史的カフェがある。サラ・べルナールはミュシャのポスターでも有名な、世界的に活躍したベルエポック期の大女優。彼女が四半世紀を過ごした市立劇場の中にカフェ、サラ・ベルナールが存在する。ここはエレガントでシックだが、あたたかみがあり、パリの人々に愛されているカフェである。 このカフェに一歩足を踏み入れると、ベル・エポックの時代にタイムスリップしたような気になれる。アール・ヌーヴォー調のインテリアは、アーチや曲線、照明、ガラスの壁や床のモザイク、当時の家具など、細部に至るまでこだわりがあり、パリの黄金時代を彷彿させる。当時の劇場の世界も感じられ、サラベルナールの写真が壁の至る所に、彼女の絵はカウンターの奥に飾られている。 このカフェのよさは何といってもあたたかみがあることである。ここにはただワインを飲みに、ちょっとしたものをつまみに来てもいいし、食事をしに来てもいい。食事時には地元民や観光客が店に次々集まってくる。演劇が上演されるときに混みあうのはもちろんだ。 街の中心地にあるものの、料理は自家製でリーズナブル。シェフはインスピレーションに事欠かない。前菜にはゆでたまごのマヨネーズソース(6€)や寒い日に重宝するオニオングラタンスープ(9€)などがある。本日のオススメランチは13.9€からで、サーロインステーキのコショウ風味や、メカジキのソテーなどが味わえる。 メインには、フランス料理の定番である、スペアリブのレンズマメ添えやコショウ風味の鴨の胸肉の燻製だけでなく、ジャガイモ、トースト、生ハムが入ったボリュームたっぷりのサラダ・サラ・ベルナールもおすすめだ。主人のギィ氏は肉を愛し、…

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フランスでは、ラグビーよりもサッカーの方がメジャーとはいえ、南西部でのラグビー人気は根強いものがある。フランスではラグビーの方がサッカーよりも食との結びつきが深い。ラグビーはもはやスポーツという枠を超えて、パリの文化の一部となっている。というのも、パリのビストロの主人の多くは南西地方出身だからである。  中央山岳地帯のクレルモン=フェランより南に位置するフランスの村々には、小さな頃からラグビーの練習をしている、若くてがっしりした農民たちのクラブが数多く存在する。ラグビー自体は激しいスポーツだが、サポーターたちの態度はサッカーに比べるとずっと穏やかで、フェアプレイの精神が尊重されている。 パリでのラグビーの流行は、そこで出会った人と食を囲んで賑やかに楽しむ文化をもたらした。大規模な試合の時にはビストロでラグビーを応援し、試合の後はお祭り騒ぎが続くことになる。これは第3のハーフタイムとも呼ばれている。試合の後は、勝った側も負けた側も、皆一緒になって飲み食いし、時には夜中まで歌うのだ。 そんな時にはもちろんビールが人気とはいえ、マディランやカオール、ベルジュラックのワインのように、親しみやすくてボディのしっかりした南西地方のワインも好まれる。ラグビーにまつわる美食といえば、これまた南西地方の名物の鴨。フォワグラ、鴨の胸肉の燻製や、鴨のコンフィなどを、鴨脂で炒めたジャガイモとともにたっぷり味わうのだ。もちろん南西地方の名物、カスレや、バスク地方やピレネー起源の、白隠元と肉を煮込んだスープのガルビュールなども味わえる。

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渡邉直人氏は、生ハムの世界的エキスパートとして知られ、10月初旬に会議が開催される、国際生ハムアカデミーの一員だ。1980年代にイベリコ豚の生ハムに衝撃を受けて以来、生ハムを生産し、世界最高品質のイベリコハム・ベジョータをはじめとする生ハムの輸入促進に関わっている。4年前、渡邉氏は日本に生ハムを広めるために、一般社団法人日本生ハム協会を設立。彼が日本に伝えたいのは、偉大な生ハムはワイン同様に特徴や違いがあるということだ。生ハムはスペインやフランス、ポルトガルでも、その土地固有の豚から作られており、高級ワインのようにテロワールごとの違いが感じられ、丁寧に育てられ、熟成されるものなのだ。日本で100gあたり5千円を上回ることがあるのも、こうした理由があればこそ。Paris-Bistro.comフランス版代表のジャーナリスト、ローラン・ブロンベジェーによるインタビューに渡邉氏が応じてくれた。 ハムに興味を持たれたのは何故ですか? 「1984年、私は在日スペイン大使館で働いており、最初のスペイン旅行でイベリコハムを食べた時、信じられない程の味わいに、とてつもないショックを受けたのです。私はそれをスーツケースに入れて日本に持ち帰りました。ひと切れ口に含んだ瞬間、すぐその虜になりました。夜はその生ハムを食べる夢を見て、朝またそれが食べたくて起きるのです。それが毎晩続き、ついに1週間後にそのハムが尽きてしまいました。それが私の人生を変えたのです。私は大使館の仕事を辞め、1992年に日本国内での生ハムを生産に携わるようになりました。日本がイタリア産生ハムの輸入を許可したのが96年、スペイン産は2000年で、その頃には輸入業者になっていました。」 日本で生ハムは人気でしょうか? 「日本人の多くは本物の生ハムの味を知りません。日本の生ハムの製造方法は本物とは全然違います。日本にある生ハムは生ハム風とはいえ、長期の乾燥と熟成工程がありません。こうした生ハムは消費の80%を占め、残りの20%が輸入品で、その4分の3がイタリア産です。」…

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マレ地区の美しいヴォージュ広場やバスチーユ広場に近いラルセナルは、パリの常連客に今でも愛されている、60年代風のビストロだ。店に入るとまず目を奪われるのは、50年前から何一つ変わっていないその内装。天井には60年代のカフェやビストロに特徴的なネオンがあり、年代物のバーカウンターと昔の電話が健在だ。トイレは懐かしのコイン式で、扉を開けるコインをバーでもらってから使用する。 ラルセナルの自家製料理は、訪れた者の身も心も温かくしてくれる。カウンターであれ、店内であれ、パリの中でもダントツのコスパのよさを誇るこの店は、この立地にありながら、ランチコースが12.7€というから驚きだ。 店の主人、ジャン=ポール・アゼマー氏はキッチンやバーカウンターで忙しく動きまわっている。ここで味わえるのはまさにビストロの定番料理。冬には身も心も温まるスープ、夏にはエンドウ豆のガスパッチョ、4つの卵を使ったオムレツも有名だ。オムレツは小さなフライパンで調理され、フライパンごと運ばれてくる。プレーン、ハム入り、キノコ入りとそれぞれ香りが特徴的だ(6−7€)。ビストロのクラシックな料理、ステーキや鴨のモモ肉コショウ風味(10.3€)腎臓の煮込み、シェーブルチーズの入ったキッシュ・ロレーヌ(9.3€)や、中央山岳地帯、オーブラックの名物、アリゴのソーセージ添えも味わえる。グラスワインの値段も手頃で、月ごとのおすすめワインはボトルでも15ユーロ以下。マレに来たら気取らないパリの姿を感じに是非訪れてみてほしい。 ラルセナル L’Arsenal…

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オープンカフェやビストロがなかったら、パリはどうなってしまうだろう?美しいアパルトマンと巨大な並木道だけが残っても、高級住宅街のような冷たい雰囲気になってしまうだろう。ビストロやカフェのテラスはパリの人々だけでなく、通りすがりの人たちをも快く受け入れてくれる場所だった。一歩店の中に入れば外国人も地元の人も、学生も社長も関係なく、そこで隣り合った人との出会いや会話の機会があった。ビストロにはカウンターがあり、カフェには通りに面して張り出された開放的なテラスがあり、ちょっとしたことが会話のきっかけになるからだ。そんなパリはいつの時代も芸術家や映画監督、作家たちを魅了し、カフェのテーブルでは本が書かれ、デッサンがなされ、絵が画商と取引されただけでなく、数々の映画の舞台となってきた。しかし、そんなカフェやビストロも現在パリでは減りつつあるという。そんな状況に危機感を抱いた人たちが、パリのビストロとテラスをユネスコの無形文化遺産にしようと動きはじめた。 アラン・フォンテーヌ氏は、パリ2区にあるビストロ「ムストゥレ」の主人であり、この運動の代表者。どんな時間帯でもお客で賑わう彼のビストロでこの運動についてのお話を伺った。「10年くらい前、パリのビストロが減っていき、ファーストフードやサンドイッチ屋が増えていることに危機感を抱いた者たちで集まって、ビストロを守らなければいけないねと話していたんです。2017年末に再びこのメンバーで集まって、何かしないと話した時に、皆とても関心を持ってくれて、この動きが本格化したのです。ビストロが打撃をうけているのは、2015年のパリのテロを境にはじまった、ラントリスムと呼ばれる「帰宅主義」と関係しています。帰宅主義は、仕事が終わったらすぐ家に帰ってテレビやパソコンの前で、自宅に配送されるご飯を食べるというスタイルです。近年は自転車による配送サービスが非常に増加しており、我々はこうした動きに立ち向かわないといけない、と。 ビストロは19世紀半ばに誕生しました。パリがナポレオン3世とオスマン男爵の元で大改造を行っている時、大量の労働者が必要だったんです。今もパリは工事だらけとはいえ、当時の工事は比べものにならないくらい大規模でした。そこでアベイロンやオーヴェルニュなど、中央山岳地帯を中心とする貧しい土地からたくさんの人たちがパリにやって来て、労働者として働きました。彼らは家賃が安かったパリの境界部に住み、そこで自分たちの家族や仲間の食堂として、ビストロを開くようになったのです。ビストロは1970年ごろまでは労働者の食堂としてずっと続いてきました。そこはパリの庶民が出会い、共にワインを飲み、ご飯を食べて楽しい時を過ごす場所だったのです。パリのビストロは現在のビストロのミーに代表されるような、ブルジョワ向けの高級レストランではなかったのです。しかし、1970年代を機にこうしたビストロの姿が変わっていきました。というのも、大企業が社員食堂を作るようになったからです。そのため、ビストロは生きるために必要な場から、仕事の後や休日用のレストランへと変化していきました。また、かつては「プティ・ノワール」と呼ばれる、カフェで出勤前にエスプレッソを一杯という習慣があったのですが、それも多くの企業にネスプレッソが導入されたことで、ほとんどなくなってしまいました。 こうした顧客側の状況の変化だけでなく、店側にも大きな問題があります。1つ目は後継者問題です。特に若者はビストロを継ぎたいと思っていません。というのも、ビストロで働くと、人生のすべてがそこを中心にまわらざるをえないからです。早朝から夜まで営業するので、1日15時間ほど働き、友人というのはお客さんです。今の若い人たちのように、仕事とは別に他で楽しみをもって、遊びたいという考えだと、ビストロの仕事には向きません。パリでもうまく次世代に継承されたビストロもあるとはいえ、それらは圧倒的に少数派なのです。2つ目に家賃の問題です。パリの家賃は高いですが、ビストロの利益率は低く、稼げる仕事ではありません。労働時間は長いのにあまり稼げないとなると、たいていの人は継ごうとせず、店は売られ、サンドイッチ屋になってしまうのです。 とはいえパリのビストロは世界に誇れるソーシャル・ミックスの場でなのす。ビストロは朝から晩まで開いていて、全ての人に開かれています。労働者でも著名人でも、外国人も、男性も、女性も、誰にでも開かれています。エスプレッソ一杯からコース料理に至るまで、様々な選択肢が存在するので、お金がない人も、お金がある人も注文できます。料理だってカウンタで食べれば13ユーロ程度ですし、レストランと違って途中で閉店せず、ノンストップで営業しています。パリのカフェやビストロは、他国の大都市のように移民が移民のコミュニティだけに閉じこもることを防ぐ役割を果たしてきました。また、パリのビストロやカフェがフランスの他都市と違うのは、文字どおり世界中の人が訪れることです。ここでは世界の人が混ざり合い、出会い、会話することが可能なのです。イギリスのパブとは違って、パリのカフェは常連用の店ではなく、内輪な雰囲気に閉じこもらないので、外国人であっても、初めて来た女性であっても入りやすいのです。…

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