Author Miki Iida

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フランスでは、ラグビーよりもサッカーの方がメジャーとはいえ、南西部でのラグビー人気は根強いものがある。フランスではラグビーの方がサッカーよりも食との結びつきが深い。ラグビーはもはやスポーツという枠を超えて、パリの文化の一部となっている。というのも、パリのビストロの主人の多くは南西地方出身だからである。  中央山岳地帯のクレルモン=フェランより南に位置するフランスの村々には、小さな頃からラグビーの練習をしている、若くてがっしりした農民たちのクラブが数多く存在する。ラグビー自体は激しいスポーツだが、サポーターたちの態度はサッカーに比べるとずっと穏やかで、フェアプレイの精神が尊重されている。 パリでのラグビーの流行は、そこで出会った人と食を囲んで賑やかに楽しむ文化をもたらした。大規模な試合の時にはビストロでラグビーを応援し、試合の後はお祭り騒ぎが続くことになる。これは第3のハーフタイムとも呼ばれている。試合の後は、勝った側も負けた側も、皆一緒になって飲み食いし、時には夜中まで歌うのだ。 そんな時にはもちろんビールが人気とはいえ、マディランやカオール、ベルジュラックのワインのように、親しみやすくてボディのしっかりした南西地方のワインも好まれる。ラグビーにまつわる美食といえば、これまた南西地方の名物の鴨。フォワグラ、鴨の胸肉の燻製や、鴨のコンフィなどを、鴨脂で炒めたジャガイモとともにたっぷり味わうのだ。もちろん南西地方の名物、カスレや、バスク地方やピレネー起源の、白隠元と肉を煮込んだスープのガルビュールなども味わえる。

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渡邉直人氏は、生ハムの世界的エキスパートとして知られ、10月初旬に会議が開催される、国際生ハムアカデミーの一員だ。1980年代にイベリコ豚の生ハムに衝撃を受けて以来、生ハムを生産し、世界最高品質のイベリコハム・ベジョータをはじめとする生ハムの輸入促進に関わっている。4年前、渡邉氏は日本に生ハムを広めるために、一般社団法人日本生ハム協会を設立。彼が日本に伝えたいのは、偉大な生ハムはワイン同様に特徴や違いがあるということだ。生ハムはスペインやフランス、ポルトガルでも、その土地固有の豚から作られており、高級ワインのようにテロワールごとの違いが感じられ、丁寧に育てられ、熟成されるものなのだ。日本で100gあたり5千円を上回ることがあるのも、こうした理由があればこそ。Paris-Bistro.comフランス版代表のジャーナリスト、ローラン・ブロンベジェーによるインタビューに渡邉氏が応じてくれた。 ハムに興味を持たれたのは何故ですか? 「1984年、私は在日スペイン大使館で働いており、最初のスペイン旅行でイベリコハムを食べた時、信じられない程の味わいに、とてつもないショックを受けたのです。私はそれをスーツケースに入れて日本に持ち帰りました。ひと切れ口に含んだ瞬間、すぐその虜になりました。夜はその生ハムを食べる夢を見て、朝またそれが食べたくて起きるのです。それが毎晩続き、ついに1週間後にそのハムが尽きてしまいました。それが私の人生を変えたのです。私は大使館の仕事を辞め、1992年に日本国内での生ハムを生産に携わるようになりました。日本がイタリア産生ハムの輸入を許可したのが96年、スペイン産は2000年で、その頃には輸入業者になっていました。」 日本で生ハムは人気でしょうか? 「日本人の多くは本物の生ハムの味を知りません。日本の生ハムの製造方法は本物とは全然違います。日本にある生ハムは生ハム風とはいえ、長期の乾燥と熟成工程がありません。こうした生ハムは消費の80%を占め、残りの20%が輸入品で、その4分の3がイタリア産です。」…

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マレ地区の美しいヴォージュ広場やバスチーユ広場に近いラルセナルは、パリの常連客に今でも愛されている、60年代風のビストロだ。店に入るとまず目を奪われるのは、50年前から何一つ変わっていないその内装。天井には60年代のカフェやビストロに特徴的なネオンがあり、年代物のバーカウンターと昔の電話が健在だ。トイレは懐かしのコイン式で、扉を開けるコインをバーでもらってから使用する。 ラルセナルの自家製料理は、訪れた者の身も心も温かくしてくれる。カウンターであれ、店内であれ、パリの中でもダントツのコスパのよさを誇るこの店は、この立地にありながら、ランチコースが12.7€というから驚きだ。 店の主人、ジャン=ポール・アゼマー氏はキッチンやバーカウンターで忙しく動きまわっている。ここで味わえるのはまさにビストロの定番料理。冬には身も心も温まるスープ、夏にはエンドウ豆のガスパッチョ、4つの卵を使ったオムレツも有名だ。オムレツは小さなフライパンで調理され、フライパンごと運ばれてくる。プレーン、ハム入り、キノコ入りとそれぞれ香りが特徴的だ(6−7€)。ビストロのクラシックな料理、ステーキや鴨のモモ肉コショウ風味(10.3€)腎臓の煮込み、シェーブルチーズの入ったキッシュ・ロレーヌ(9.3€)や、中央山岳地帯、オーブラックの名物、アリゴのソーセージ添えも味わえる。グラスワインの値段も手頃で、月ごとのおすすめワインはボトルでも15ユーロ以下。マレに来たら気取らないパリの姿を感じに是非訪れてみてほしい。 ラルセナル L’Arsenal…

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オープンカフェやビストロがなかったら、パリはどうなってしまうだろう?美しいアパルトマンと巨大な並木道だけが残っても、高級住宅街のような冷たい雰囲気になってしまうだろう。ビストロやカフェのテラスはパリの人々だけでなく、通りすがりの人たちをも快く受け入れてくれる場所だった。一歩店の中に入れば外国人も地元の人も、学生も社長も関係なく、そこで隣り合った人との出会いや会話の機会があった。ビストロにはカウンターがあり、カフェには通りに面して張り出された開放的なテラスがあり、ちょっとしたことが会話のきっかけになるからだ。そんなパリはいつの時代も芸術家や映画監督、作家たちを魅了し、カフェのテーブルでは本が書かれ、デッサンがなされ、絵が画商と取引されただけでなく、数々の映画の舞台となってきた。しかし、そんなカフェやビストロも現在パリでは減りつつあるという。そんな状況に危機感を抱いた人たちが、パリのビストロとテラスをユネスコの無形文化遺産にしようと動きはじめた。 アラン・フォンテーヌ氏は、パリ2区にあるビストロ「ムストゥレ」の主人であり、この運動の代表者。どんな時間帯でもお客で賑わう彼のビストロでこの運動についてのお話を伺った。「10年くらい前、パリのビストロが減っていき、ファーストフードやサンドイッチ屋が増えていることに危機感を抱いた者たちで集まって、ビストロを守らなければいけないねと話していたんです。2017年末に再びこのメンバーで集まって、何かしないと話した時に、皆とても関心を持ってくれて、この動きが本格化したのです。ビストロが打撃をうけているのは、2015年のパリのテロを境にはじまった、ラントリスムと呼ばれる「帰宅主義」と関係しています。帰宅主義は、仕事が終わったらすぐ家に帰ってテレビやパソコンの前で、自宅に配送されるご飯を食べるというスタイルです。近年は自転車による配送サービスが非常に増加しており、我々はこうした動きに立ち向かわないといけない、と。 ビストロは19世紀半ばに誕生しました。パリがナポレオン3世とオスマン男爵の元で大改造を行っている時、大量の労働者が必要だったんです。今もパリは工事だらけとはいえ、当時の工事は比べものにならないくらい大規模でした。そこでアベイロンやオーヴェルニュなど、中央山岳地帯を中心とする貧しい土地からたくさんの人たちがパリにやって来て、労働者として働きました。彼らは家賃が安かったパリの境界部に住み、そこで自分たちの家族や仲間の食堂として、ビストロを開くようになったのです。ビストロは1970年ごろまでは労働者の食堂としてずっと続いてきました。そこはパリの庶民が出会い、共にワインを飲み、ご飯を食べて楽しい時を過ごす場所だったのです。パリのビストロは現在のビストロのミーに代表されるような、ブルジョワ向けの高級レストランではなかったのです。しかし、1970年代を機にこうしたビストロの姿が変わっていきました。というのも、大企業が社員食堂を作るようになったからです。そのため、ビストロは生きるために必要な場から、仕事の後や休日用のレストランへと変化していきました。また、かつては「プティ・ノワール」と呼ばれる、カフェで出勤前にエスプレッソを一杯という習慣があったのですが、それも多くの企業にネスプレッソが導入されたことで、ほとんどなくなってしまいました。 こうした顧客側の状況の変化だけでなく、店側にも大きな問題があります。1つ目は後継者問題です。特に若者はビストロを継ぎたいと思っていません。というのも、ビストロで働くと、人生のすべてがそこを中心にまわらざるをえないからです。早朝から夜まで営業するので、1日15時間ほど働き、友人というのはお客さんです。今の若い人たちのように、仕事とは別に他で楽しみをもって、遊びたいという考えだと、ビストロの仕事には向きません。パリでもうまく次世代に継承されたビストロもあるとはいえ、それらは圧倒的に少数派なのです。2つ目に家賃の問題です。パリの家賃は高いですが、ビストロの利益率は低く、稼げる仕事ではありません。労働時間は長いのにあまり稼げないとなると、たいていの人は継ごうとせず、店は売られ、サンドイッチ屋になってしまうのです。 とはいえパリのビストロは世界に誇れるソーシャル・ミックスの場でなのす。ビストロは朝から晩まで開いていて、全ての人に開かれています。労働者でも著名人でも、外国人も、男性も、女性も、誰にでも開かれています。エスプレッソ一杯からコース料理に至るまで、様々な選択肢が存在するので、お金がない人も、お金がある人も注文できます。料理だってカウンタで食べれば13ユーロ程度ですし、レストランと違って途中で閉店せず、ノンストップで営業しています。パリのカフェやビストロは、他国の大都市のように移民が移民のコミュニティだけに閉じこもることを防ぐ役割を果たしてきました。また、パリのビストロやカフェがフランスの他都市と違うのは、文字どおり世界中の人が訪れることです。ここでは世界の人が混ざり合い、出会い、会話することが可能なのです。イギリスのパブとは違って、パリのカフェは常連用の店ではなく、内輪な雰囲気に閉じこもらないので、外国人であっても、初めて来た女性であっても入りやすいのです。…

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5月21日、ボジョレーから10名の生産者が来日し、ボジョレーのクリュを紹介する試飲会が開催された。会場となったのは東京湾の船上で、クルージングしながらボジョレーワインを心ゆくまで楽しむという粋なイベントだ。首都圏が朝から大雨で、皆が雲行きを心配していたものの、奇跡的に雨は降り止み、船は無事出港した。 ボジョレー、といえばどうしても「ボジョレー・ヌーボー」というイメージがつきまとう。毎年11月に大手スーパーや酒販店がこぞって宣伝するからで、実際日本はボジョレー・ヌーボー輸出先の世界トップとなっている。しかし、ボジョレーで生産されているのはヌーボーだけでは決してない。新酒は生産量の3分の1に過ぎず、実際にはクリュ・デュ・ボジョレーと呼ばれる高品質なAOCワインが生産されており、パリのビストロでは随分前からこれらのクリュが注目されている。 クリュ・デュ・ボジョレーには10のAOCがあり、ブルイリー、サンタムール、ムーラン・ナ・ヴァンという名を一度は目にしたことがあるだろう。赤ワインの品種は全て黒ブドウのガメイだが、産地によって土壌の質が異なるため、単一品種といえども生産者や産地によって味わいは様々だ。クリュ・デュ・ボジョレーは一般的に、ボジョレー・ヌーボーよりもエレガントで華やかさがあり、卓越したものはブルゴーニュかと見紛うほどである。「近年では世界的傾向として、重厚なワインを難しい顔をして飲むのではなく、日常的に楽しく飲むものが求められるようになってきました。軽やかで、日常の料理にも合わせやすく、かつ繊細さのあるワイン。つまり昨今のワイン業界はまさにボジョレー・スタイルのワインを求めているといえるでしょう」とボジョレーワイン委員会会長のドミニク・ピロンさん。非常に多くのワインが出展される中、ドメーヌ・ドミニク・ピロンのワイン、フルーリーは秀悦だった。軽やかで飲みやすく、フルーティでエレガント。主張しすぎないがしっかり心に残る味わいを持ち、もちろん余韻も素晴らしく、幸福感にひたっていられる。  美味しいワイン片手に船上で風に吹かれ、レインボーブリッジを眺めていられるというのはまさにフランス的な人生の楽しみ方だ。異国であえて船上パーティを開催し、2日間のためにフランスから来日したボジョレーワイン委員会の英断を讃えたい。ボジョレーのクリュはこのようにリラックスした雰囲気で、美味しい食とともに質の良いワインを味わいたいときに最適なアイテムなのだ。これからの季節、ちょっと一杯テラスで外の空気を感じて飲みたい時にもボジョレーのクリュは向いている。 船上ではボジョレー騎士団の就任式も開催され、今年は瀬川あずささんと、オザミワールドの代表取締役の丸山宏人さんが就任された。「ボジョレーを愛する気持ちは誰にも負けません」と語る丸山さんの店舗ではで20種類ほどボジョレーを扱っているという。11月のボジョレー・ヌーボーのシーズンには、パリ同様に1週間かけてヌーボーだけでなく、クリュの魅力を知ってもらうキャンペーンを展開し、ボジョレーが飲めるロンドンバスが都内を巡回するという。ボジョレーのクリュは価格も2千円代が多く、フランスワインの中では手頃で本当におすすめだ。たいていのワインショップを探すと1本は置いてあるから、ぜひ一度試してみてほしい。…

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パリの街並みからビストロとカフェのテラスを取ったら何が残るというのだろう?ビストロやカフェはパリに彩りを与え、パリの生活の楽しみを生み出す重要な存在である。とはいえ、ビストロやカフェのテラスはグローバリゼーションによる世界の均質化の波にさらされている。今日では世界のどこへいっても大都市の中心部は似たり寄ったりで、同じ看板、同じファーストフード店やチェーン店で溢れかえっている。パリは大都市にしてはこうした潮流から免れている方ではある。とはいえ、唯一無二で、正真正銘の昔ながらのパリのビストロやカフェのテラスは、放っておいたら消えてしまう運命なのだ。ビストロやカフェはパリの美しい街並みに欠かせないだけでなく、パリのエスプリの一部をなす存在である。というのも、両者は自由な場、議論の場、また文化的な場としての役割を担ってきたからである。ビストロやカフェは庶民的な味を守り続けるだけでなく、社会の中で人のつながりを育む場所なのだ。 こうした消滅の危機に対して、ワイン生産者と結びつきの強いカフェ店主や、ビストロの擁護者たちがパリのビストロとカフェのテラスを、ユネスコの無形文化遺産、地域に根付いたライフスタイル(Art de vivre)として登録するための団体を創設した。ブルゴーニュのクリュや、シャンパーニュのワイン産地を守る動きと同じようなものである。「ビストロとパリのテラス」という団体の代表者、アラン・フォンテーヌ氏は、「ビストロは様々な階層の人々がカウンターを通して気軽に出会い、語り合えるパリのサードプレイスなのだ。こうした文化は地域に根付いたライフスタイル、フランス流の生活の楽しみ方という観点からも、次世代に伝えてゆくべきだ」と語る。…

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今年もFOODEX JAPANが幕張メッセで3月5日から8日まで開催された。日本中だけでなく、世界中から食品、飲料の生産者や販売業者が一同に会すこのイベントでは、数多くのセミナーも開催される。 フランス・テイスティングルームで開催された「フランス料理は(実は)簡単!」というアトリエは、簡単なフランス料理のデモンストレーションかと思いきや、出展企業10社の製品を説明付きで味わえるものだった。フランス料理というと難しそうで、前菜からデザートまでのおもてなしは料理に自信がない者には敷居が高い。しかし、料理研究家の脇雅世さんによれば、母親になっても働くことが主流のフランスでは、帰宅後に簡単に作れる料理が注目されているという。その助けとなるのが、自然解凍するだけで食卓に出せる冷凍食品である。 冷凍食品といっても、パーティに使えるカナッペから、オーブンで焼き上げるタイプのバゲット、カヌレや1口サイズのケーキに至るまで、非常に高品質で見た目も美しい。特に驚きなのがブリオッシュ・パスキエ社のマカロンで、こちらはラデュレのマカロンと言われてもそうかと思えるほどの美味しさだ。外はサクッと、中はふんわり口の中でとろけていくのに、ポロポロとこぼれ落ちることもない。「マカロンはマリー・アントワネットなどが食べていたこともあり、手に入りやすくなったとはいえ、今でも高級デザートとして認識されています。きちんとした格好でパーティに行った時、ボロボロこぼれて服を汚さないようにというのも考えて作られているんですよ」とピエール・パスキエさん。パスキエ社の冷凍マカロンは保存料も着色料も使用せず、甘さもフランスの一般的なマカロンより控えめだ。ボリュームがあるので1個食べるだけで随分幸せな気持ちになれる。美味しさだけでなく価格も衝撃的で、1箱12個入りで1400円程度で買えるというから、人を呼んでおもてなししたい時のデザートにピッタリだ。もちろんコーヒーとは相性抜群である。 趣向をこらしたフランスのデザートを味わった後、コーヒーが飲みたくなったら訪れるべきはイタリア館のエスプレッソコーナーである。「IIAC…

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このところパリで「ブイヨン」が再び注目されている。「ブイヨン」というのは19世紀末にパリに誕生した、庶民的で低価格なブラッスリーのこと。オペラ座付近、グラン・ブルバールの老舗「シャルティエ」は、パリに現存する唯一のブイヨンとしての姿を伝えてきた店だ。そして2019年2月、モンパルナス駅目の前に待望の2店目がオープンした。 こちらは「モンパルナス1900」というビストロを改装しており、新規オープンというよりも、時を経てシャルティエに戻ったという方が正しいだろう。シャルティエ兄弟は1900年代にパリにいくつもの店をもっており、もともとこの店はシャルティエだったのだ。そして116年の時を経て、同じグループに戻ってきたわけだ。 このブラッスリーが当時の趣をこれほどまでに残しているのは驚異的である。この店に入るとすぐ、ベル・エポックやアール・ヌーヴォーの時代に舞い降りたかの気になれる。アール・ヌーヴォー調の彫刻が施されている鏡、チューリップ型のランプ、美しい女性像の彫刻に、ファイアンス陶器で飾られた壁面、そして天井には一面のステンドグラス。この店は1984年に歴史的建造物として指定され、ビストロとして営業を続けながらも当時の趣を保ってきた。モディリアーニもこの店の椅子でアルコールを飲んでいたかと思うと感慨深いものである。 フォブール・モンマルトルの有名なブイヨン・シャルティエを愛する人たちにとって朗報なのが、モンパルナスのこの店でもシャルティエならではの雰囲気が堪能できるということだ。ここでも黒の制服に白いエプロン姿のギャルソン達が店の評判を上げている。注文や会計は紙製のテーブルクロスの端になぐり書きという独特のスタイルも変わらない。 新しいシャルティエのコストパフォーマンスの高さにはパリの美食通たちも驚いている。この店の値段は表記の見間違いかと思うほどで、冬には野菜のポタージュが1€。フランクフルトとポテトの盛り合わせが6.5€、絶品の鴨のコンフィは10.6€、仔牛のマレンゴ風煮込みは11.2€。シャルティエ名物、アルコールのしっかり効いたデザート、ババ・オ・ラムは4.6€。ワインもとてもリーズナブルで、ボトル1本10€〜。量はそんなにという方には、ブッシュ・デュ・ローヌIGPのカラフ入りがあり、4.9€で分け合える。…

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2月中旬、在日イタリア商工会議所主催のイタリアンDOPチーズのセミナーが開催された。食文化に対する強いこだわりをもつイタリアは、EU加盟国の中でも突出して原産地呼称の認定を受けた製品が多い国である。DOP、IGPなどを合わせると818もあり、2位のフランス(618製品)を大きく引き離している。DOPというのは、イタリアの原産地呼称制度(Denominazione di Origine Prottetta)のことで、DOPには昔ながらの方法が細かく規定されており、チーズ作りのノウハウは父から子へと継がれていく。 イタリアチーズというと高級なイメージだが、その理由は全ての工程が手作業で丁寧に作られているからだという。世界では工業的なチーズが多く作られている一方、イタリアのチーズ作りでは機械すらほとんど使わない。DOPでは牛の品種もしっかり規定されており、異なる品種のミルクを混ぜることも禁止されている。また、工業的なチーズと特に異なる点は、着色剤を一切使わないこと、ほとんどのDOPチーズが生乳でつくられており、熱殺菌が禁止されていることである。ドイツやアメリカでは生乳でのチーズ作りは禁止されているというから対照的だ。…

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毎年1月に開催される新年度のミシュラン・ガイドの発表はフランス料理会の一大イベントだ。パリではミシュラン自ら大体的なイベントを開催し、注目されるようにしかけているが、この数年で風向きが変わりつつある。現在批評されているのはシェフたちよりも、ガイドであるミシュランの方なのだ。こうした動きは広がりつつあり、ミシュランの信用と評判が疑問視されている。 1999年以来、18年間に渡って3つ星を獲得していたシェフ、セバスチャン・ブラ氏は北海道の洞爺湖にレストランをかまえるミッシェル・ブラ氏の息子である。彼は2017年9月に、ミシュランに今後は自分の店を格付けしないようにと頼み、ミシュランはそれを受け入れた。しかし2019年には2つ星として格付けされていたことを、ガイドで知ったシェフは驚きを隠せない。 3つ星を辞退することは犯罪同様という者や、気がおかしいという意見もある一方で、それは自由への道だととらえる者もいる。あまりに多くの厳しい評価基準が課されるミシュランの調査員による絶え間ないプレッシャーのもとで生きるのはもうやめたいという意思である。 2019年にはクラシックなフランス料理で知られるパリ1区のキャレ・デ・フイヤントのアラン・ドゥトルニエ氏が、公式な手紙でミシュランの欠点を詳細に表した。その結果ミシュランは2店舗ある彼の店の星を両方取り消した。アラン・ドゥトルニエ氏は、大手ホテル業界や金融業の方に目を向け、もともとの職人気質で家庭的だった側面を失ってしまったミシュランに、もはや独立性がないと述べている。また、近年は写真映えする見た目が、実際の味わい以上に評価されることに疑問を呈している。 彼によれば、シェフやレストランは一連の商業的関係によってこのガイドの支配下にあるという。ミシュランのサイトを通した予約システムへの支払いから、毎月99ユーロのプロ向けプランも存在する。それに加えて、ミシュラン・ガイドのロゴ入り調理器具の販売まであるという。自分の店の将来を考えたとき、誰しもがその提案を断れるわけではないだろう。彼はミシュランの国際戦略についても批判しており、ミシュランの拠り所であるはずのフランス料理を大事にすべきだと主張する。1989年には60万部が売れたこのガイドブックの販売数は、現在では約10分の1程度となっている。アラン・ドゥトルニエ氏は、料理人の団体の協力のもと、ミシュラン審査員の能力の明確な定義を要求している。フランスを代表してきたガストロノミー批評が、まさに今批判にさらされている。

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