中世の居酒屋 Taverne Lutèce

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中世のパリの歴史の中で、ワインは重要な役割を果たしています。
ワインは100軒ほどの居酒屋で飲まれていました。塩同様に、
ワインの輸送と取引は独占されていました。ワインをパリに輸送するには
セーヌ川を通らなければなりませんでした。そのために、航海を支配する
パリのブルジョワたちは、社会階層の高い地位につくことができたのです。
王様から、居酒屋でワインの値打ちを決める商人の任命権をまかされていたのも、
計量係を任命していたのも彼らだったのです。アンシャン・レジームほど
反自由主義で保護主義的な時代はありません。

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パリの居酒屋で人々は何を飲んでいたのでしょう?
まずは「フランスワイン」、つまり、パリ近郊で製造されたワインを
飲んでいました。セーヌ川沿いの全ての丘陵地帯にはブドウの木が
植えられていたのです。ブルゴーニュワインも飲まれていましたが、
この広大な領地はワインの広がりを制限していました。

何はともあれ、一度ワインの栓を抜いてしまうと、それを飲んで
空にしなければいけませんでした。というのも、保存技術が発達するには
19世紀まで待たなければいけなかったからです。パリの居酒屋のワインは
上質といえるものではなかったのです。

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