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フランス料理の巨匠、ピエール・トロワグロ氏が9月23日に亡くなった。リヨンの西、ロアンヌの彼のレストランは、1968年からミシュランの3つ星を守り続けてきた。彼は1983年に亡くなった兄のジャンとともに、この半世紀における最も偉大なフランス人シェフのとして知られている。ピエール・トロワグロ氏はポール・ボキューズ氏の友人でもあった。彼らはともにフェルナン・ポワン氏の見習いとして働いていたのである。フェルナン・ポワン氏は、1930年代のフランス料理界の巨匠であり、ヴィエンヌにある彼の店「ピラミッド」は初めてミシュランの3つ星を1933年に獲得した店だ。 フランスの数々の名店で腕に磨きをかけた後、トロワグロ兄弟は、父親が1930年にロアンヌ駅前に開いたホテル・レストランを引き継いだ。父に見守られながら、彼らは徐々にフランスの美食会における中心的存在となってゆく。ミシュランの星をはじめて1955年に獲得し、1968年には3つ星を獲得し、トロワグロ兄弟は軽やかで味わい深い「ヌーベル・キュイジーヌ」の頂点に立つことになる。彼らの代表作は、「スカンポ風味のサーモンのエスカロップ」、「トロワグロのショーソン、トリュフ風味」、「ボジョレー・フルーリー風味の牛肉と牛骨髄」などが挙げられる。彼らのテーブルサービスの方法は、のちにフランスの多くのレストランで規範となっていく。それ以前は鶏肉や魚などはホールのサービススタッフが客の目の前で取り分けていた。1995年、ピエール・トロワグロ氏は息子のミッシェル・トロワグロ氏にあとを継がせて引退した。2017年、息子のセザール氏とともに、ミッシェル氏はロアンヌから8キロのウッシュに美しい店「レ・ボワ・サン・フイユ」を開き、3つ星を守っている。トロワグロ兄弟が築き上げた王国は、この地で脈々と続いていくことだろう。

フランスはガストロノミー大国としての自覚を強めている。2015年2月2日、フランス外務省はミシュラン・ガイドの創設以来、初めてミシュラン2015の記者会見用に一室を提供し、外務大臣による演説も行われた。600人もの世界のジャーナリストを前にして、ミシュランはフランスの公式ガイドとして位置づけられたといえるだろう。仏外務省トップにとって、ガストロノミーを目指して外国人がフランスを訪れるのは非常に重要なことなのだ。ミシュランの3つ星レストラン111件の内、26軒はフランスに存在する。 2015年のミシュランにはサプライズも含まれる。3つ星と思われていたアラン・デュカスのプラザ・アテネのレストランは2つ星となり、ライバルであるヤニック・アレノのシャンゼリゼの店、パビリオン・ルドイエンが3つ星を獲得。両者とも、自然な食材にこだわり、健康指向の料理を追求している。とはいえ、この国には矛盾もある。フランス料理がフランス料理たるには、自然と生物多様性があってこそ。だが農薬に満ちた土壌でこの先もよい作物を手にすることができるのだろうか?フランスはアメリカと日本に次いで、農薬等化学薬品の使用量が世界第3位。しかも2009年から2013年にかけて、農薬使用量は年平均5%もアップしている。策定プランでは今後2018年にかけて使用量を半量にすると述べているのだが。 このままでは一体どうなっていくのだろう?画家がパレットに色がないからという理由で暗いトーンで絵を描くように、自然が豊かな味わいを与えられなくなることで、フランス料理も味わいに欠けてしまわないのだろうか?すでに蜂が大量死し、ハチミツの収穫量は減少中だ。 こうした矛盾は現在の料理業界にも横たわる。1月末には世界1の料理人を選ぶコンクール、ボキューズ・ドールが、リヨンのSIRHAという外食産業国際展示会にて開催された。だがこのサロンで一番大きなブースを出していたのは、料理に手をかけない飲食店向けに粉末ソースや調理済み食品を販売している企業達。そこれそ今フランスで問題となっており、国が法律で自家製料理を守ろうとしている時なのに。 外務大臣のローラン・ファビウス氏は »Goût…