ドゥマゴ賞を創ろうというアイデアは、1933年にドゥ・マゴのテラスに座っていた小説家のロジェ・ヴィトラックと国立芸術学校の図書館司書から生まれました。彼ら2人は、ドゥ・マゴの常連だった13人を集めて評議員にし、各自に100フランを持ってくるように言ったのです。それは、まさにゴンクール賞がアンドレ・
マルローの小説『人間の条件』に与えられた日のことでした。初の受賞者は、処女作『はまむぎ』を書いたレーモン・クノーに決定しました。この文学賞の創設において最も驚かされるのは、その当時のドゥ・マゴのオーナーであるブレー氏という人物が、ドゥ・マゴ賞の創設を翌日の新聞をみて初めて知ったということです。この事件の報道を前にして、彼は、今後は彼自身がこの賞の後の受賞者たちに、同じだけの金額を与えよう、と提案します。この賞の後継者たちは一度もこのとりきめに反せず、ドゥ・マゴ賞は現在では総額7500ユーロを与えています。日本でもドゥ・マゴ文学賞が存在します。