1927年12月20日に開催されたクーポールのオープニングパーティは、パリの狂乱の時代の幕開けとなる出来事でした。2500人の招待客のために 念入りに選ばれた1500本のシャンパンやワインは、一瞬でなくなりました。このエピソードはパリ中の話題となり、後に伝説が生まれることになるのです。
カフェ・ド・フロールの主人、ブバル氏やブラッスリー・ リップの主人、マルセラン・カザズ氏同様、このカフェもアベイロン地方の出身者、アーネスト・ フロー氏によって作られました。
彼の天才的アイデアはこんなものでした。彼はモンパルナス大通りに面した1000平方メートルくらいの広さの古い石炭置場を買い取って、そこをパリで一番大きなブラッスリーにしたのです。クーポールはモンパルナス大通りとラスパイユ大通りの角にあるカフェ・ ドームや、向かいのカフェ、セレクトに負けないくらい大きなカフェでした。
アーネスト・ フローはこの時代最高の建築家たちや装飾家たちとともに、クーポールをできる限り和やかに、そして他に類をみない場にするように考えました。こうして、ホールのように大きく、33本の柱で支えられた広大な空間を作り、2階にはレストランとテラスを設置しました。
幸運にも、すぐ近くには「モンパルノ」と呼ばれるアーティストたちの集団が揃っていました。彼等はモンマルトルを離れ、モンパルナスにやってきた芸術家たちでした。マリー・ ヴァシリエフをはじめとする画家たちはクーポールの柱を彼らの絵で装飾しました。
クーポールの成功はめざましいものでした。ここはパリの名士たちが集う場になったのです。少数の人々から熱狂的に支持されたこのカフェは、
偉大な芸術家たちや文学界の人物たちを惹き付けました。コクトー、アラゴン 、ダリ、ピカソ、フジタ、モデルのキキと一緒に通っていた写真家のマン・レイ、ザッキン、キスリング、サルトル、ジャコメッティ、ボーヴォワール、アルトー他大勢の者がここで時を過ごしたのです。
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