Browsing: カフェドフロール

 カフェ・ド・フロールは1885年に誕生した。フロールの名前は店のサン=ジェルマン大通り側に設置されている春の女神、「フロール」に由来している。1913年頃には、サン=ジェルマン大通りに住んでいた詩人のギョーム・アポリネールが、詩人のアンドレ・サルモンとともによく通っていた。彼はこの店の1階を雑誌の編集部にした。このようにして雑誌『ソワレ・ド・パリ』は出版されることになったのだ。彼はここに彼の習慣も持ち込んだ。事務所のように、待ち合わせも一定の時刻に定める程だった。1917年には、フロールのテラスで、のちのシュールレアリスム運動の創始者となるアンドレ・ブルトンとルイ・アラゴンとともに偉大な議論をしているアポリネールが見られたものだ。アポリネールによって「シュールレアリスム」という言葉が発明され、パリのダダイストのグループが生まれていった。 1930年代には、パリの文学界中がフロールに足早にやってきた。レオン・ポール・ファルグやレーモン・クノー、ミシェル・レリス、また、ジョルジュ・バタイユ、ロベール・デスノスは常連中の常連だった。 モンパルナスの古株も自らここにやってきた。デュランやジャコメッティ兄弟、ザッキンやピカソもまたしかりである。映画界の人々もこの独特な雰囲気に無関心ではいられなかった。マルセル・カルネはここで俳優のセルジュ・ルジャーニと出会ったのだ。  とはいうものの、サン=ジェルマン・デ・プレのカフェの黄金時代は、1939年にフロールがポール・ブバルによって買い取られた時に始まった。ブバルは、本拠地をフロールに定めたサン=ジェルマン・デ・プレのカップル、サルトル、ボーヴォワールを筆頭にして、知的エリートをひきつける術を知っていたのである。ジャン・ポール・サルトルはこう書いている。 「我々は完全にここに住みついていた。朝の9時から正午まで、私たちはここで仕事をし、その後昼食に出かける。午後2時にはフロールに帰ってきて、8時まではここでたまたま出会った友人たちと話をする。夕食後には、私たちが会う約束をしていた人たちをここで受け入れる。奇妙に思うかもしれないが、私たちにとってフロールは我が家だったのだ。」これはブーニャ(フランスのオーベルニュ地方出身者たちのパリでの呼称)であるブバルの思いも寄らないパラドックスだが、彼は彼の同業者である、ブラッスリー・リップのカゼズ氏同様、一冊も本は読まなかったし、左翼のパトロンでさえないのだった。…