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モンマルトルのブトウ栽培が最初に資料として記録に残っているのは、10世紀にさかのぼる。
そして、このワインが重要な発展を見るようになるのは、当時のフランス王妃、
アデライドがモンマルトルに女修道院の創設を決めた1133年のこと。

モンマルトルの修道女たちは、この土地にブトウを植えることを条件に、小作地を譲ることを考えた。
修道女たちは修道院に併設するブトウ搾り機の使用料をとることで、苦しい財政をいくらかでも補充することができた。
ここで取れたクロ・ド・ラベイ(ピノ・ノワ一ル)は非常に評判が良かった。 17、18世紀のころ、モンマルトルの丘は多数の風車があり、4分の3がワイン畑ということもあって緑の豊かな丘として知られていた。また、モンマルトルのワインは利尿作用があるとも言われていた。 モンマルトルのワインが「山羊の様に嬉々ととして跳ね回る」という評判があったのは、パリ市内と違ってワインの課税がなく、このブトウ栽培地にレストランやキャバレ一が続々と開店したからである。日曜日になるとパリの人たちはパリ市内から、このブトウ畑の丘に登ってきたの。こうして人々がワインを飲むため、田舎風の舞踏会で誰かと出会いに集まって来たので、酒場の数はますます増えた。 だが、1860年、モンマルトルがパリに併合されたのを機に、モンマルトルでのブドウ栽培は終わってゆく。そして、1930年代までには、ブドウ栽培地がひとつまたひとつと消えていった。モンマルトルで最も威厳ある建造物、サクレ・ク一ル寺院が建立された19世紀になると、それまで建造地には向かないと言われていたモンマルトルの丘は、不動産投機の対象となってゆく。…