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ドゥ・マゴ賞 Le prix des Deux Magots

ドゥマゴ賞を創ろうというアイデアは、1933年にドゥマゴのテラスに座っていた小説家のロジェヴィトラックと国立芸術学校の図書館司書から生まれました。彼ら2人は、ドゥ・マゴの常連だった13人を集めて評議員にし、各自に100フランを持ってくるように言ったのです。それは、まさにゴンクール賞がアンドレ

 

prix-2magots2009マルローの小説『人間の条件』に与えられた日のことでした。初の受賞者は、処女作『はまむぎ』を書いたレーモンクノーに決定しました。この文学賞の創設において最も驚かされるのは、その当時のドゥマゴのオーナーであるブレー氏という人物が、ドゥマゴ賞の創設を翌日の新聞をみて初めて知ったということです。この事件の報道を前にして、彼は、今後は彼自身がこの賞の後の受賞者たちに、同じだけの金額を与えよう、と提案します。この賞の後継者たちは一度もこのとりきめに反せず、ドゥマゴ賞は現在では総額7500ユーロを与えています。日本でもドゥ・マゴ文学賞が存在します。

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