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プロコープの歴史を作った プロコピオ Le Procope

ルイ14世の時代、シシリア人のフランセスコ・プロコピオは宮廷の貴族と才人たちのための場所をつくりたいと思ってい ました。そして彼は、カフェ・プロコープを1674年にトゥルノン通りに開き、その後アンシャン・コメディ通りに店を移転させました。この店では、赤ワイ ンではなくコーヒーが出され、さらにコーヒーが客達の精神を覚醒させ、会話の技術を非常に高い所まで磨きあげていったのです。

 1670年代頃には、イエメンから伝わったコーヒーは、ヨーロッパの大都市のベネ チアやロンドン、ウィーンなどに姿を現しました。もちろん、パリも同様で、まずエリートたちによってコーヒーの飲み方が発展させられ、それに伴って、コー ヒーの薬としての効き目をたたえる、一連のエセ科学書が出版されていきました。

そんな中、プロコピオはたっぷりといれたコーヒーだけでなく、アイスクリームも
売りにしたので、それが大成功をおさめることになったのです。丁度その頃、
1676年にパリでカフェ経営者―リキュール業者の同業組合が設立されたのは
偶然ではありません。氷を集めて保管することが可能になったのもこの時代の
ことなんです。氷点下の日、水面上にできた氷や、氷屋の中にある水流の上に
集まった氷を地下室に保管し、夏に出荷させることができるようになったのです。

 procope-escalierプロコープではコーヒーだけでなく、甘いリキュールやシロップ、
シャーベットなども出されていました。

 プロコピオの成功は、彼のインテリアと優雅なセンスがあったことにも
よるのでしょう。エリート達の心を奪ったこの店の大理石の丸テーブルは、
数々の大鏡に穏やかな光を反射させている水晶のシャンデリアで輝いて
いたのです。この大鏡はルイ14世がリュイリーに工場を開いてフランスで
生産させようとしたものです。

 プロコープは後に女性にも門戸を開くことになりました。カフェという場に
女性客がいること、それはパリ初の大事件だったのです!プロコープによって
発明されたカフェのこうした形態は、しだいにパリ中の熱狂となっていきました。
1700年頃には、パリには300軒程のカフェと1750軒のキャバレーがありました。
人々はそこで世界を変える計画を練り、王国の検閲下で出版されたルノド新聞に
書かれた記事に対してコメントしていたのです。

 1702年にはプロコープはドゥビソン氏の手に移り、店の名はこの上ない
文学カフェのシンボルとして名を残すようになりました。ヴォルテール、
ディドロ、ダランベール、モンテスキュー、ルソー、モンマルテル達はここで、
のちに君主制を倒すことになる彼らの思想を共有していきました。
プロコープは革命期にはジャコバン派の巣窟となっていったのです。

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