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パリで最初に誕生したカフェ ル・プロコープ Le Procope

 フランチェスコ・プロコピオ・ディ・コレッティが1684年にカフェ・プロコープを開いたのは、アンシアン・コメディー通り13番地。1686年に開店した、パリで一番古いこのカフェに足を踏み入れ、大きなシャンデリアとマホガニー製の家具類や壁石に囲まれるとすぐ、3世紀もの歴史の重みを感じることでしょう。カフェ・プロコープはパリ中をゆさぶった全ての知的革命を生み出した場所。ここに集った偉人達がプロコープを神話的な場所にし、現在もそうしつつあるのです。

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プロコピオ、アイスとカフェとレモネード

シシリア人のフランチェスコ・プロコピオは1674年に天才的なアイデアを思いつきました。当時のパリにはまだ酔っ払いだらけの居酒屋やキャバレーしかな かったのですが、彼はルイ14世の宮廷に通う、洗練された貴族たちをターゲットにした美しいカフェを開こうと考えました。彼のカフェはまずトゥルノン通り に開かれ、次に現在の場所、アンシアン・コメディ通りに移転しました。

 ここではワインではなく、コーヒーがサーブされました。コーヒーがイエメンから伝わったのは1670年代頃のことで、このころに、ヨーロッパの大きな都市、ヴェネチアやロンドン、パリなどにカフェが出現するようになったのです。

 プロコープは特にアイスクリームが評判の店でした。真冬の寒い日々に、水面や川に浮かんだ氷を集め、夏の出荷に向けて、寒い部屋や整備された地下室に氷を貯めておくということを始めたのはこの時代のことなんです。

 大きな鏡に輝きを放っている水晶のシャンデリアと、シャンデリアの光で輝いた大理石のテーブルのあるプロコープは、とてもエレガントなカフェでした。ここに来た人々は自分がベルサイユ宮殿の鏡の間に来たのではないかと思ったことでしょう。

プロコープが女性客にも開放されたのはずっと後のことでした。女性客がカフェにいるということ、それはパリ初の偉大な試みでした。プロコープによって発 明された形式は大成功をおさめます。1700年代には、パリには300軒程のカフェと、1750軒のキャバレーがあり、そこで人々は世界を変革し、当時の 様々な新聞に書かれたニュースの批評をしていたのです。

18世紀の一番有名な文学カフェ プロコープ

 プロコープはメニューにあるアイスクリームやコーヒーだけでなく、
独自の雰囲気でも知られていました。1689年にコメディー・フランセーズの
建物が近所に移って来て以来、プロコープはすぐに流行りの場所となり、
文学批評家や演劇批評家、小説家たちや哲学者たちの出会いの場となりました。
ラ・フォンテーヌやマリボーはここの常連でした。プロコープは18世紀の
文学カフェの中でも一番有名なカフェでした。ボーマルシェが、オデオン座で
上演されたフィガロの結婚の初演を観た観客たちの反応を待ちわびて避難したのも
プロコープです。ディドロとダランベールの会話から、百科全書をつくるという
考えがでてきたのもこのカフェです。百科全書派の出会いと思想の交流の場として、
ヴォルテールやルソーは何日もここに通い、コーヒーを囲みながら、18世紀の
自由思想の誕生をもたらすことになる、彼等の進歩に対する理想を分かち合いに
来たのです。

革命家のカフェからロマン派のカフェへ

 その何年か後に革命思想が議論されたのもプロコープです。
ロベスピエールやダントン、マラーがここに集まりました。
君主制を倒すことになる思想が生まれたのもここなのです。
マラーが出版した『人民の友』という革命新聞の印刷所は
このカフェのすぐ裏です。1792年6月のチュイルリー宮殿攻撃は
ここで決意されたであろうと言われています。革命家たちの赤い帽子が
はじめて登場したのも、ベンジャミン・フランクリンがアメリカ合衆国憲法の
中の一章を起草したのもここなのです。

 プロコープはその何年か後にロマン派たちのたまり場となりました。
ここにはジョルジュ・サンドやアルフレッド・ド・ミュセが姿を見せました。
またバルザックやユーゴー、テオドール・ゴティエも来ていました。

 3世紀続いたプロコープはヴェルレーヌやオスカー・ワイルドたちも
同様に受け入れながら、文学カフェとしての使命をつねに維持しているのです。

ル・プロコープ Le Procope
住所:13 rue de l’Ancienne Comédie 75006 Paris
電話: 01 40 46 79 00

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