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クローズリー・デ・リラ  La Closerie des Lilas

パリジャン達の芸術的、知的生活の中心地だったクローズリー・デ・リラ

 19世紀後半、印象派のクロード・モネ、フレデリック・バジル、オーギュス ト・ルノワールたちはモンマルトルに溢れかえった人たちに嫌気がさして、原点にたち帰ろうと、この場所にやってきました。クローズリー・デ・リラのテラス は、ライラックの木々に囲まれていたため、木陰ができて非常に心地よかったのです。ここはパリ=オルレアン街道に面していて、乗り合い馬車の宿場としても 機能していました。クローズリーの主人は通りすがりの旅行者たちに部屋を貸していました。詩人のボードレールとヴェルレーヌはここで心地よい時を過ごして いました。アングルをはじめとする画家たちは、モデルたちをここに連れて来ていました。

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パリの文学、芸術界の著名人が通うカフェ

 クローズリー・デ・リラを有名にしたのは象徴派詩人のポール・フォールです。
彼は1912年に“詩人界のプリンス”に選ばれ、クローズリーを“文学と芸術の
国際的中心地”にまで高めた人物です。毎週火曜に開催されていた、ポール・
フォール主催の詩の朗読会には全世界から数々の小説家や芸術家たちが
やってきました。それに、1905年に開催されていた詩のつどいがなかったら、
キュビスムが生まれることもなかったかもしれません。兵役あがりの若い詩人、
モーリス・レイヤルが、モンマルトルに住んでいたパブロ・ピカソをここに
連れて来たのです。その晩にここにいた3人の詩人たち(アポリネール、
マックス・ジャコブとアンドレ・サルモン)は、ピカソと彼の友人たちの
マティス、ジョルジュ・ブラック、アンドレ・デュランを擁護することに
なるのです。

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 お酒に満ちた詩のつどいが、いかに活気に満ちていたかを鮮明に
伝えてくれるエピソードにはこと欠きません。ピストル愛好家の
アルフレッド・ジャリはこのカフェのガラスの方へ向けて空発を放った
ことさえあるのです。また、モンマルトルのラパン・アジルの常連だった
マックス・ジャコブは、テーブルの上にはいあがり、詩を暗唱しながら
踊っていました。

1914年から1918年の第一次世界大戦とともに、クローズリー・デ・
リラは次第に輝きを失っていきました。サン=ジェルマン大通りのカフェ、
特にカフェ・ド・フロールがクローズリーの最大のライバルとなっていきます。

 クローズリーの常連達はむしろ共和主義者や左翼の人々で、レーニンや
トロツキーもここによく来ました。それに対して、フロールの常連客は
右派の人々が多かったのです。

 今日のクローズリーはどうでしょう。赤いレザークロスの長椅子や、
伝統的な銅製の棒でできた帽子かけ、モザイク画の床や、古いガラスや
木の壁石の後ろで、スノッブな人達や芸術家たちが落ち合う場所になっています。

 クローズリー・デ・リラはまだ過去の場所ではありません。
若い役者たちやフランス人歌手たちがここで一日の幸福な時間を過ごしに
きています。クローズリーは観光客達の有名無名を問わず、
避けては通れない場となっています。

La Closerie des Lilas
171 bd du Montparnasse
75006 Paris
tel : 33 1 40 51 34 50

Metro Vavin
RER B Port Royal

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