オープンカフェやビストロがなかったら、パリはどうなってしまうだろう?美しいアパルトマンと巨大な並木道だけが残っても、高級住宅街のような冷たい雰囲気になってしまうだろう。ビストロやカフェのテラスはパリの人々だけでなく、通りすがりの人たちをも快く受け入れてくれる場所だった。一歩店の中に入れば外国人も地元の人も、学生も社長も関係なく、そこで隣り合った人との出会いや会話の機会があった。ビストロにはカウンターがあり、カフェには通りに面して張り出された開放的なテラスがあり、ちょっとしたことが会話のきっかけになるからだ。そんなパリはいつの時代も芸術家や映画監督、作家たちを魅了し、カフェのテーブルでは本が書かれ、デッサンがなされ、絵が画商と取引されただけでなく、数々の映画の舞台となってきた。しかし、そんなカフェやビストロも現在パリでは減りつつあるという。そんな状況に危機感を抱いた人たちが、パリのビストロとテラスをユネスコの無形文化遺産にしようと動きはじめた。
こうした顧客側の状況の変化だけでなく、店側にも大きな問題があります。1つ目は後継者問題です。特に若者はビストロを継ぎたいと思っていません。というのも、ビストロで働くと、人生のすべてがそこを中心にまわらざるをえないからです。早朝から夜まで営業するので、1日15時間ほど働き、友人というのはお客さんです。今の若い人たちのように、仕事とは別に他で楽しみをもって、遊びたいという考えだと、ビストロの仕事には向きません。パリでもうまく次世代に継承されたビストロもあるとはいえ、それらは圧倒的に少数派なのです。2つ目に家賃の問題です。パリの家賃は高いですが、ビストロの利益率は低く、稼げる仕事ではありません。労働時間は長いのにあまり稼げないとなると、たいていの人は継ごうとせず、店は売られ、サンドイッチ屋になってしまうのです。
とはいえパリのビストロは世界に誇れるソーシャル・ミックスの場でなのす。ビストロは朝から晩まで開いていて、全ての人に開かれています。労働者でも著名人でも、外国人も、男性も、女性も、誰にでも開かれています。エスプレッソ一杯からコース料理に至るまで、様々な選択肢が存在するので、お金がない人も、お金がある人も注文できます。料理だってカウンタで食べれば13ユーロ程度ですし、レストランと違って途中で閉店せず、ノンストップで営業しています。パリのカフェやビストロは、他国の大都市のように移民が移民のコミュニティだけに閉じこもることを防ぐ役割を果たしてきました。また、パリのビストロやカフェがフランスの他都市と違うのは、文字どおり世界中の人が訪れることです。ここでは世界の人が混ざり合い、出会い、会話することが可能なのです。イギリスのパブとは違って、パリのカフェは常連用の店ではなく、内輪な雰囲気に閉じこもらないので、外国人であっても、初めて来た女性であっても入りやすいのです。
今でこそソーシャル・ネットワークと言われますが、それは何もフェイスブックが発明したわけではなく、ずっと以前からソーシャル・ネットーワークを生み出していたのはパリのカフェやビストロなのです。バーチャルな世界で全てが代替できればいいわけではなく、実際に人と出会って話ができる、物理的な場やコンタクトは非常に大切です。黄色いベスト運動が盛り上がった背景には、もうビストロのなくなってしまった田舎で、彼らが交差点にバーベキューセットなどを持ち寄って、人々がそこで出会い、語り合うことができ、かつてのビストロのような経験ができたとからいうのも一因です。バルザックはカフェのことを庶民の議会と呼んでいましたが、カフェやビストロが存在し、語り合い、自分たちの意見を交換し、誰かが自分の話を聞いてくれれば、デモが突発することもないでしょう。
現在私たちが目指しているのは、2021年にパリのビストロとテラスを無形文化遺産として登録することです。この活動はエマニュエル・マクロン大統領や、パリ市長のアンヌ・イダルゴ氏はじめ、多くの方々の共感と支援をいただいています。私たちは書類の準備だけでなく、カフェやビストロにまちわる文化的なイベントも企画しています。11月17日にはパリのカフェのギャルソン・レースなども開催予定です。」