2010年にはフランス料理、2013年には和食がユネスコの無形文化遺産として登録され、今年12月にはナポリのピザの職人技も登録された。パリのビストロもいつか文化遺産として登録される日が来るのだろうか?
ビストロを語るにあたっていつも難題なのは、現在でもフランス語における「ビストロ」という言葉の定義が不明確だということだ。それにアランさんは「ビストロノミー」を擁護するパリ市の定義には納得していない。2024年のオリンピック誘致に向けて、パリ市は5月に高名なシェフ、アラン・デュカスとともにパリの素晴らしい100のビストロを選ぶ一大セレモニーを開催した。だが、ここで選ばれた大半のビストロは、アランさんのような生粋のパリジャンからすれば、ビストロというより「ビストロノミー」、つまり美しさを追求したビストロ風の料理を提供するレストランなのだ。それにビストロノミーのレストランは往々にして親しみやすい街角のビストロより高額だ。
アランさんにとっても、多くのパリジャンたちにとっても真のビストロとは人と人とのつながりを育む場所だ。お金があろうとなかろうと、エスプレッソ1杯からカウンターでのサンドイッチ、ゆで卵にボリューム満点の料理まで、全ての人が頼めるものがあり、誰もが行くことのできる場所、それがビストロでありカフェなのだ。ワインもまた同様で、1本40ユーロのワインをうりにするより、グラスワインが3ユーロで飲めてこそ、真のビストロと言えるのだ。
パリで大成功を収めたビストロノミーは今や方向性を見失いつつある。ビストロノミーは料理の美味しさや盛り付けの美しさを追求してはいるものの、そこにはビストロの核となる、人と人とのあたたかみあるコミュニケーションが欠けており、シェフと話ができるということもごく稀だ。本来のビストロとはイブ・モンタンやシャルル・アズナブールが歌ったように、主客一体となってつくられる人生劇場なのだ。ビストロの真髄は、ワイン片手にカウンターやテーブルで見知らぬ人と出会って料理や人生について語り合う、心温まる出会いにあるのであり、インスタやフェイスブックに投稿するために携帯を取り出し、料理写真を撮ることがビストロの醍醐味なのではない。ユネスコは彼らの試みをどうとらえていくのか、今後の動きに期待したい。