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中世時代から受け継がれてきた、アリゴ作りに必須のチーズ、トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックがIGPラベル認定へ

トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラック(Tome fraîche de l’Aubrac)というチーズをご存知だろうか?

チーズ愛好家やシェフたちの間で密やかに話題となっているこのチーズは、その名が示す通り、フランスのオーブラック(Aubrac)高原で作られる、牛のミルクのフレッシュチーズである。木綿豆腐のような見た目をしていて、食感は引き締まっており、心地良い弾力がある。わずかな酸味の中に深く繊細な味わいがあり、主に料理の材料として用いられる。ひとたび熱を加えると、弾力を保ったまま驚くほど滑らかに伸びるのが特徴だ。郷土料理のアリゴやトリュファッドに欠かせない材料として、また、ピザやキッシュ、デザートなどの多種多様な料理に使える万能なチーズとして、今日多くのフランス人に親しまれている。
昨年秋、このチーズは晴れてIGPラベルの認可を受けた。1200以上存在していると言われるフランスチーズの中で、トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックは10番目のIGPチーズの地位を獲得したのだ。

IGPラベルとは?

Indication géographique protégéeの略で、「保護地理的表示」や「地理的表示保護」と訳されている。このラベルは、農作物や食料品、ワインなどのアルコールに適用されている。IGPの目的は主に、その品物の産地と伝統を保証することで、1992年に欧州連合により創設されて以降、EUのすべての加盟国で使用されている。

このIGPラベルの認定を受けたトム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックは、実は中世の時代から、オーブラック高原で受け継がれてきたチーズなのだ。

しかし、長い歴史や伝統があるにもかかわらず、このチーズを日本で知る人は残念ながらまだ少ない。今回の記事では、このチーズの知られざる魅力を、フランス食文化やチーズが好きな皆様にお届けしたいと思う。

まずは、このトム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックが生産されている地域についてお知りいただきたい。フランスワインを語る際には土壌とブドウ品種の紹介が欠かせないのと同様に、チーズもまた、テロワールを語らずしてその魅力をすべて伝えることは不可能だからだ。

photo©Maxime Authier- オーブラック高原の景色

まず、オーブラック高原とはどこにあるのか?
この高原は、フランスの中央高地からやや南下した位置にある。パリからは電車やバスを乗り継いで8時間ほどかかるため、辺境の地と言っても過言ではない。
都会の喧騒から離れたその高原にひとたび辿り着くと、清々しい空気に包まれた見事な草原が地平線まで広がっている。その景色は、私たち日本人にとってはどことなく北海道を彷彿とさせるものがある。しかしその雄大な平野のような見た目に反し、標高は1000mを超える。これはアルプス地方にあるシャモニーなどのスキー観光地に等しい。
今日、オーブラック高原は、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼やハイキング、スキーなどのアクティビティを楽しめる景勝地として広く知られている。毎年多くのフランス人が、自然の癒しを求めてこの地へとやってくる。またこの高原には、2000種類を超える草花が自生しており、豊かな植物相をもつ土地としても、昔から多くの植物学者や地理学者の研究の対象となってきた。トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックは、そんな壮大な自然が広がるオーブラック高原で生まれたのだ。

オーブラック高原のテロワールが形成する豊かな風味

Screenshotphoto©Maxime Authier – オーブラック高原と生産者

標高1000mを超えるこのオーブラック高原で、牛たちは多くの栄養を含んだ生草を食べ、のびのびと育つ。特に春から秋にかけては、高地へと牛の群れを移動させる移牧、トランスユマンス(Transhumance)が行われ、牛たちは夏のあいだ、高地の新鮮な草花を食べて過ごす。その牛たちが作るミルクは、加熱処理を行わず、全乳かつ生乳のままチーズの製造に使用される。そのため、搾りたてのミルクに含まれる多くのアロマと栄養素、そして極上のまろやかさが、トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックの生地にしっかりと凝縮されるのだ。

Photo©Michel Raynal – 移牧のお祭りトランスユマンス(Transhumance)

この風味を守るため、生産の裏側では、酪農家たちには大変厳しい製造規定が設けられている。まず、牛種はシメンタル牛とオーブラック牛のみの使用が許されている。これは高地の厳格な気候のもとでも良質なミルクを生産できる牛種のみに限定するためだ。そして、天気が許すかぎりほぼ一年中放牧を行い、牛の身体の負担を軽減するため、一日あたりの搾乳量は制限され、濃厚なミルクのみを生産に用いている。また、牧草管理においては、チーズの雑味の原因となるサイロ貯蔵やサイレージが禁止されており、牛たちは冬でも最良の状態の干し草を食べることができるようになっている。

テロワールとは、日本語に直訳すると「風土」と言う意味になるが、フランスの地理学者たちによれば、テロワールの概念はそれだけに留まらず、農産物を生産する地域社会にも及んでいる。彼らの文言を拝借して言うなれば、トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックの品質や風味は、オーブラック高原の豊かな自然と植物相、そして地元の生産者たちの絶え間ない努力によって形成されているのだ。

それでは、このチーズはオーブラック高原でどのようにして生まれ、現代まで受け継がれてきたのだろうか?

巡礼者やチーズ職人により何世紀も受け継がれてきた食文化

中世時代のオーブラック村の修道院


冒頭で述べた通り、このチーズの歴史は12世紀頃の中世時代に遡る。オーブラック高原が、修道士たちの指揮により開拓された時代だ。キリスト教の勢力が拡大し、12世紀初めにこの地に修道院が建設された。その主な目的は、この高原を通過するサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼者たちに宿と食料を与えることだった。そのため、修道院の設立と同時に、周辺での酪農が発展し始めた。修道士たちは、腹を空かせてやってきた巡礼者たちに、ミルクを凝固させて発酵させたチーズと、パンを混ぜ合わせた料理を与えていた。その料理は、長い旅路に疲れ果てた巡礼者たちに癒しと活力を与えたと言われている。そしてお気づきの通り、そこで提供されていた名もなきチーズこそが、のちのトム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックなのだ。巡礼者たちは修道院の門戸を叩き、ラテン語で「アリクィド=Aliquid (何か食べるものを)」と口々に言い食料を乞うた。それが幾度も繰り返されるうちに、この料理は「アリゴ(Aligot)」と呼ばれるようになった。これが今日まで続くオーブラック高原の郷土料理、アリゴの原型である。
17世紀になると、オーブラック高原でのチーズの生産はビュロン(Buron)と呼ばれる小さな石造りの山小屋で行われるようになった。チーズ職人たちはこのビュロンでトム・フレッシュを作り、さらにそれを熟成させて50kg程度ある大型のセミハードチーズを作った。このチーズはのちにライオル(Laguiole)チーズと呼ばれるようになる。トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックは、熟成させずそのまま使用すればアリゴの材料となり、型に詰めて熟成させればライオルチーズとなるのだ。このライオルチーズは、冬を越すための貴重な保存食として重宝された。

Photo©Vincent Baldensperger-Irqualim
ライオルAOPチーズ(Laguiole AOP)

ビュロンでチーズ製造を行う人々は、ビュロニエ(Buronnier)と呼ばれていた。彼らは移牧期間に牛たちと高地へやってきて、一夏をこの山小屋で過ごす。
売り物となるライオルチーズを食べることが許されなかったビュロニエたちは、ライオルになる前のトム・フレッシュのみ食べることが許されたため、彼らは頻繁にアリゴを作って食べるようになった。こうして、山小屋ビュロンでのお馴染みの一皿として、アリゴは密かに浸透していったのだ。

photo©Rémy-Pierre Ribière – チーズ作りが行われていた山小屋ビュロン(Buron)

19世紀頃にはジャガイモの文化がフランスに到来し、次第にアリゴはジャガイモのピュレとトム・フレッシュで作られるようになった。こうして現在のアリゴのレシピは確立されたのだ。

ライオル村でアリゴを食べる人々

その後、トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックは、滑らかに伸びるアリゴを作るために欠かせない材料として、広く知られるようになった。修道士やビュロニエたちが培ってきた伝統レシピは、やがて地元の定番料理となり、祭りや催事でも提供され、次第にオーブラック高原のみならず、周辺の地域にも認知されていった。

19世紀から20世紀にかけては、交通機関の発達も伴い、夏のチーズ作りを終えたビュロニエたちが冬にパリへ出稼ぎに行くようになった。彼らはブニャ(bougnat)と呼ばれ、次々にカフェやブラッスリーを開いていった。パリの店で、彼らの地元の名物料理であるアリゴを提供することで、地方のみならずフランスの都でも、この郷土料理は浸透していったのだ。

ところが、誕生から今日までの間、黄金期ばかりが続いたわけではない。20世紀の中頃、地方住民の都会への流入により、オーブラック高原のチーズ職人が激減する事態が起こった。山小屋ビュロンでの過酷な労働状況から後継が減り、トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックとアリゴの文化は一時消滅の危機に晒されたのだ。そうした状況に直面し、今度は地元の若い酪農家たちが立ち上がった。伝統を絶やすまいと、団結してチーズ製造組合を設立したのだ。彼らはまず、労働環境の根本的な改善に取り組んだ。そして、未来に向けた持続可能なチーズの生産、そしてミルクの品質向上に全力を尽くした。こうして、この小さな組合は長年の歳月をかけ、不可能と言われたオーブラック高原の酪農存続を実現するに至った。

これにより、トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックの製造は次世代にも引き継がれることとなった。1960年に設立したこのジュンヌ・モンターニュ(Jeune Montagne)チーズ製造組合は、今日、黄金期の20世紀初頭と同じ量にまで生産量を回復させた。トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックとアリゴの主要な生産者として、その名を世に馳せることとなった。オーブラック高原の中心、ライオル村にあるこの組合では、一年を通してチーズの製造や農場の見学を行っている。

Coopérative Fromagère Jeune Montagne
La Borie Neuve 12210 Laguiole
日本語ガイド付き見学も可能 (要予約)
www.jeune-montagne-aubrac.fr

今日、美食の国フランスにおいて、アリゴは存続の危機を乗り越え、トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックと共に確固たる地位を獲得した。フランスが誇る伝統的なチーズ料理の一つとして、オーブラック高原のみならず、パリのレストランやチーズショップでも見つけることができる。

トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックIGPで作るアリゴはどこで食べられる?

Photo© Félix de Malleray – トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックIGPを使ったアリゴ「アリゴ・ドゥ・オーブラック(Aligot de l’Aubrac)」

トム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックIGPを使用した本物のアリゴをパリで堪能したい方には、次のお店をご紹介したい。

Instagram @aubergeaveyronnaise

L’Auberge Aveyronnaise

40, Rue Gabriel Lamé – 75012 Paris

auberge-aveyronnaise.paris

パリ12区のベルシー駅からすぐ近く、アヴェロン県出身のパトロンによる郷土料理を満喫できるレストラン。しっかりと焼き色のついた香ばしいソーセージに、熱々のアリゴをふんだんにかけたプレートには思わず舌鼓を打つ。郷土愛の溢れる店内装飾とともに、和気あいあいとした雰囲気を楽しむことができる。大人数のグループにもおすすめ。

L’Ambassade d’Auvergne
22 rue du grenier Saint-Lazare 75003 Paris
ambassade-auvergne.fr/

パリのマレ地区にある、オーヴェルニュ地方とアヴェロン県の郷土料理を提供するレストラン。オーブラック牛とアリゴのオーソドックスな組み合わせを堪能でき、生産者から直接仕入れるワインのセレクションも素晴らしい。シックで温かい雰囲気の店内で心地良い時間を過ごすことができる。デートなどにもおすすめ。

Instagram @ambassadeauvergne
Instagram @fromageriehisada.paris

Fromagerie HISADA
47 Rue de Richelieu, 75001 Paris
www.hisada.fr/

パリ一区にある、日本人オーナーが営むチーズ専門店。パリ在住のチーズ好きな日本人なら誰もがその名を知っていると言っても過言ではない。チーズ熟成士組合の最高位、メートルフロマジェの称号を持つ久田惠理さんが経営するこの店では、アリゴ入りの絶品キッシュを味わうことができる。お立ち寄りの際には「アリゴと野菜、タイムハーブの自家製キッシュ」をご堪能いただきたい。

日本でトム・フレッシュ・ドゥ・オーブラックIGPを使ったアリゴを食べるには?

パリは遠いという方には、日本でこのアリゴが手に入る場所を紹介したい。

チーズ王国/フロマジュリー・ヒサダ
https://www.cheese-oukoku.co.jp
パリのフロマジュリー・ヒサダと同じ会社が手がける1985年創業のチーズ専門店。全国各地に店舗があり、生産者を実際に訪れ仕入れてきた、選りすぐりの絶品チーズを見つけることができる。

フェルミエ
https://fermier.co.jp
東京の港区に本店を構える1986年創業のチーズ専門店。毎週パリやミラノから200種類以上のチーズが集まる。都内で美味しいナチュラルチーズをお探しの際はぜひお立ち寄りいただきたい。

 川本 美希

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