11月13日、パリを襲ったテロでは129名が犠牲になり、標的の多くが10区や11区のカフェやビストロだった。これらの地区はシャンゼリゼやエッフェル塔のような世界的な観光地ではなく、パリジャン達に愛される庶民的で質の高いビストロの多い地区だった。金曜の夜、カフェのテラスは一杯飲む人、夕食を食べる人、タバコを拭かす人たちで賑わっていた。そんなさなかに起きた事件。
「ル・カリヨン」「ル・プチ・カンボッジ」「ベル・エキップ」・・・標的となったカフェやビストロでは40名近くの方が亡くなり、店の前には献花やロウソクを灯しにくる人たちが後を断たない。犠牲者の友人や近隣の人、その場を訪れた人たちは目から涙がこみ上げてくる。
学生~40代のバリジャン達が週末の楽しみに知人に会いに行くような、そんな場所。あえてこうした地区を襲ったテロリスト達に狙いがあるとするならば、それはパリジャン達の日常に強いショックを与え、沈黙させることかもしれない。パリのカフェのテラスはフランスの自由や生き方を示す象徴的な場所。そこをもはや空にして、家のテレビに釘付けになり、じっと耐え忍ぶ事。それがこれからの生きる道なのだろうか?
そんなことはありえない。ビストロはフランス人らしい生き方の象徴的な場所だった。誰かと出会い、美味しいものを食べ、ワインを飲んで陽気になって、また隣の誰かと仲良くなっていく。人種や身分は関係ない。たまたま隣にいたかどうか、一緒の時間を過ごしたか、そこから関係が始まっていく。ビストロにはフランスのエスプリが凝縮している。狙われたのが高級住宅街でも豪奢なカフェでもなく、まさにパリの精神の象徴だとすれば、それに屈してたまるか、というのが私たちの言い分だ。
パリジャン達が何よりも大事にするのは自由やパリのエスプリだ。美術館でも大学でもテレビの画面の中でもなく、どこよりもパリらしさを体現する場所、パリのカフェやビストロに、それでも行こうとする勇気。こんな中、あえてカフェを訪れること。それはパリジャンたちのレジスタンスの意思表明だ。まずは木曜日のボジョレーが戦いの始まりだ。
Laurent Bromberger, Miki IIDA